2020年、皆さま本当にどうもありがとう!
- 2020.12.31 Thursday
- 16:49
コロナウイルスに翻弄されたこの2020年という一年は、世界中の様々な人たちの生活の基盤を脅かしたり壊したり、自分が長く関わらせて頂いているエンターテイメントの世界でも、ライブハウスが無くなってしまったり、表現する活動の場を失ってしまったり、そこに従来の価値観ややり方を当てはめて考えたり行動することが難しかったぶん、コロナによってモチベーションそのものを失ってしまった人々もいれば、コロナを利用して(ここで言う利用とはつまり反骨心に近い)逆に新しい価値観ややり方を手にすることが出来た人たちもいた一年だったと思っている。
個人的に2020年の一番大きな出来事は、小さい頃から大好きだったスーパーヒーロー、コメディアンの志村けんをコロナで失くした悲しみが今も胸にこびりついたまま離れない。
家族旅行で九州の佐賀を訪れた朝に聞いた訃報。あれほどまでに人前で泣きじゃくったことも生涯初めてながら、車の運転すら出来なくなって後部座席に身を沈め、旅先の店を訪れても、店員さんと話していても涙が出てきてしまい、トイレに篭って泣き、真上に広がる青空と咲き誇る美しい桜が余計に哀しさを倍増させてまた泣き、悲しみに暮れる、というのはつまりこういうことか、と少し冷静を取り戻した翌日になってやっと気付いたほどだった。
でもだからこそ、コロナの恐ろしさを思い知らされ、大好きだった志村けんの死が、自身の活動を改めて見直すきっかけになったことは唯一の副産物であり、救いだったかもしれない。
そしてこんなひどいコロナ禍の中でも、家族や友人、そして愛すべき音楽仲間たちに支えられながら活動を継続出来たことを本当に有り難く思っているし、このコロナ禍で活動の回数が減ったぶん、むしろ一本一本に掛ける思いがより深くなって、結果的に良いライブが増えたと感じているし、先述したその反骨心によって自らの中にある好奇心と情熱の熱量が助長され、この歳になってもまだ成長出来ることへの確信が持てたことで、例年よりもずっと充実感を得ることの出来た実りある一年だったと感じている。
そんなコロナ禍にまみれた2020年、今年もいろいろと楽しいライブはあったけれど、やっぱり何と言っても10月30日の千葉DOMe柏での自身初の誕生日ワンマン、夢観客配信ライブを開催出来たことは今年一番のハイライトだ。
本当はワンマンが終わってからすぐにお礼のブログを書いていたのだけど、思いが溢れ過ぎてしまったせいで乱筆になり、これでは逆に伝わらないというか、もう少し俯瞰して自分を見つめる必要があるかもしれない、と一旦書くのをやめたものの、時間が経てば経つほどその時に感じた新鮮な思いが薄れ、そのぶん自らのステージを俯瞰し過ぎて反省点ばかりが目につき始める、といった毎度のルーティーンに陥り、結局この年末の最後のブログでやっとワンマンのことについて書けている。
遅ればせながら、あの日の夢観客配信ワンマンを観てくれたオーディエンスの皆さま、応援してくれた皆さま、気にかけてくれていた皆さま、本当にどうもありがとう!
何をもって成功と言うのか、理屈で考えようとするとそれはとてもややこしい。
成功ほど曖昧な基準で語られるモノは無いし、ある人にとっては成功でも、ある人にとっては成功ではない。チケットがソールドアウトすることも成功と言えるし、演者の自分たちが最後まで楽しく演奏出来ることだって成功と言えるだろう。
ライブの出来不出来はまずは置いておこう。さきほど俯瞰して自分を見つめる必要がある、と書いたように、どんなに最高だったとは思っていても、しばし時間を置いてワンマンライブの映像を冷静な頭で観てみれば、声が出ていない、キーを外している、簡単なコードミスを犯している、リズムがヨレている、歌詞が飛んでいる、そんな箇所はいくらでも散見されたし、そもそも歌詞が出来ていない新曲をギターまで放り出して歌うなんてのは、こんなのはもはや暴挙でしかない。だけどワンマンが終わった後に自分が感じた正直な思い、そして達成感、メンバーみんなの言葉や表情を見て、色々と大変なこともあったけれど報われたというか、シンプルに、やって良かった、と心から思えたこと。これだけであのワンマンは成功だったと言えるし、目の前にお客さんがいない無観客配信ライブだから、観てくれているお客さんたちが楽しんでくれていたかどうかを確かめることは出来ないけれど、俺が、我々が、あの日観てくれている人たちに一番伝えたかったのはそこに掛けていた『思い』だったから、極端な話、それさえ伝わってくれたらあとはどうでもよかった。だけど思いは見えない。確認しようがない。だから感じることしか出来ない。だけど感じることが出来た。『思い』が画面の向こう側へいるオーディエンスのみんなにきっと伝わったはずだ、って手応えを深く「感じる」ことが出来た。だから勝手ながらあの夜は大成功だったと思っている。
正直、ワンマンの二週間前くらいはちょっとヘコんでいたなぁ、、、二週間前の時点でチケットの売り上げが9枚。もちろんそれが何枚だろうと、観てくれる人が一人でもいる限り全力を尽くして今までやってきたけれど、数字として今の自分の立ち位置や歌うたいとしての需要をハッキリと表していて、自分の心をひどくどんよりと曇らせた。そもそも鈴木ナオトという歌うたい自体がとっくにオワコンなことなど分かってはいたけれど、その時俺は、そんなどんよりとした自分の気持ちとは裏腹に、素晴らしきマジックアワーで真っ赤に染まる空を眺めながら、Twitterへ心境を吐露したこんな投稿を寄せてしまった。
でも落ち込んだのもそこまで!逆にこんな早い段階から9人もの人たちがワンマンのチケットを既に購入してくれているのか、という事実は俺に大変な勇気を与えてくれていた。そして色々な構想をまた練り始める。
ワンマンのセトリは16曲。過去6回のワンマンの公演時間を踏まえてみても、たぶん2時間半、下手すると3時間を超えてしまうかもわからない。(過去最高は3時間40分なんてワンマンもあったくらいである)そんなライブ、100%飽きる。絶対に途中で飽きる。生ライブだってキツいのに、配信でそんな長時間ライブを観てくれる人がいるわけない。生ライブの空気感を観ている人たちに配信で届けることにはやっぱり限界がある、だから何か工夫を凝らさなければダメだ、と考えて、敢えて今回は割り切って配信ライブという特徴をおおいに生かして、途中転換代わりにミュージシャン仲間たちからの応援メッセージを入れ込んだり、インタビューを入れ込んだりする番組風な構成に仕立て上げたらどうかと、あれやこれやと考える。それから11組の愛すべきミュージシャン仲間たちに企画の趣旨を伝え、依頼したすべてのミュージシャンたちが一人もNGを出すことなく快く承諾してくれて、続々とメッセージ動画が俺の元に贈られてきた。それを観ているだけでたまらなく嬉々とした気持ちに包まれてまた勇気をもらい、自分はオープニングムービーのイメージを膨らませたり、新曲に着手しつつ、ひどく忙しい仕事の合間をぬって撮影や編集に勤しんだりして、ワンマンというか、、、作品としてのワンマン映像を届ける、少しでも飽きさせずに少しでも楽しんでもらいたい、という一心で楽しみながら準備に励んでいました。
だってコロナの影響もあるとはいえ、他のミュージシャンたちと比べてライブ活動もそんなに多くはない、新曲もアルバムもしばらく出していない、まるで既存の曲で何年も営業を続ける演歌歌手みたいな活動しかしていない、ただただ音楽や表現することへの情熱だけで、ステージに立っていた近年の俺からすれば、そんなオワコンな自分がワンマンを演らせてもらえる、もうそれだけで感謝しかないではないか、いやマジで!
そして今一度応援メッセージをくれたみんなに改めてお礼を言いたい、本当にどうもありがとう!
もりきこ
加藤卓雄
有田健太郎
カトウマサタカ
矢田太朗
斉藤省悟
YMCK
大貫永晴
一戸惇平(荒川ケンタウロス)
エナ
RYOJIROCK
でも結果的に88名もの人たちがあの日のワンマンを見守ってくれていた。
本当にあの夜は最高の気分だった。それはあの日一緒にステージに立ってくれたバンドのみんなも同じだったし、終演後の朝までの打ち上げは酒も話も尽きることが無く、俺は磯丸水産の喫煙所で感極まってギターのおーたくんを抱きしめながら泣けてしまったほどだ。喫煙所はガラス張りで店内の他の客からは丸見えなので、大の男が大の男を抱きしめて泣いている光景は、それはそれはきっと気色悪い光景だったに違いない。
またいい歳して青臭いこと言ってるこの人、と思われたっていい。でも生身の人間として大事なことを言ってみる。「想い」が無ければ何も始まらない。始まらない、ってことは終わりもしない。想いがあるから何かが出来るのか、何かをしたことで想いが生まれるのか、そんなのはどっちだっていい。先にエッチをしてしまってから付き合うカップルもいれば、付き合ってからエッチに辿り着くカップルもいて、どっちが正しいか、なんて議論することなどまったく無意味なように、想いがそこにあればきっと何かが生まれてくる。
この「想い」がまた何かを生んでくれる予感、自分をまた次の場所へと運んでくれる予感、それ以上にそんな「想い」を仲間と共有出来たこと、それが本当に嬉しかった。想いがあるからこそ長く続けてゆける大きな力になるし、充実も、仕事も、家族も、仲間も、音楽も、想いがあるからこそ、信頼というまな板の上で愛しく調理して食することが出来る。感謝することが出来る。それもこれも、音楽を通して深く学んだこと、今も学んでいること。
本当はワンマンを観てくれた人たちはもちろん、一人一人に直接感謝の気持ちを伝えたいところだけど、それもなかなか難しいことなので、僭越ながらここでお礼を言わせてください。
みんな、本当に本当にどうもありがとう、本当にありがとう。
それでは最後に、愛すべきナオトバンドのみんなへ、この場を借りてささやかながらメッセージを 送らせてください。
Eg / おーたこーじ(ペパンポイ)
おーたくんとは、今からちょうど10年前に新宿OREBAKOというライブハウスのイベントで対バンになった時、ギターが無いのでギターを貸して欲しい、と声を掛けられたことが出逢いのきっかけだった。ライブをしに来ているのに自分のギターが無いなんて何てヤツだ、と思ったけれど、一見無愛想に見えるそのイメージとは裏腹に、ステージに上がるとまるで別人のようなパフォーマンスを見せてくれることに驚いたものだ。それから何年か経ったある日の弾き語りのライブで対バンになった際、「さよならリメンバー」という曲でギターサポートをお願いしたことがすべての始まりで今に至るのだけど、お付き合いさせてもらってから10年。10年といえば親友と言っても何ら間違いはないと思うのだが、何せいつ会っても初対面、みたいな朴訥とした男なので、未だスタジオやライブハウスで会うと初めの3分くらいは戸惑う。でも朴訥な彼から出る言葉には本当にウソが無く、おーたくんといると何故か落ち着く。そして散々寡黙だったかと思うと、ステージでは爆発的な動きとプレイで我々を魅了してくれる。漫画こち亀で例えれば、普段は穏やかなのに白バイに乗った途端に豹変する本田のような男だ。 いつも控えめで前に出過ぎないことをわきまえている男だけど、それが逆におーたくんの個性を際立たせて、ひどくシニカルな雰囲気を醸し出しているカッコいい男。俺はそんな不器用なおーたくんが大好きだ。
ただ一つだけ、LINEの既読がなかなか付かないことだけは来年の課題として心に留めておいて欲しいところである。
おーたくん、どうもありがとう、来年もどうぞ宜しくね。
Ba / うみんちゅ
なんてクソ生意気なヤツだ!それがうみんちゅの第一印象である。東京、埼玉、神奈川、千葉の各ライブハウスをサーキット方式で回ってライブを行うイベントで、俺は東京代表として、うみんちゅはイエスタデイというバンドで神奈川代表として選ばれて、一ヶ月間イベントを共にしたのだけど、まだ22、3歳といえば当然生意気盛り、一方の俺は最年長の42歳で落ち着き払った紳士、とはまぁウソだけど、どう転んでも交わることなどないだろう、と思っていたし、加えてお互いがお互いに第一印象が良くなかった者同士だったにも関わらず、気が付いた時にはいつも隣に座っていた。19歳も年が離れているのにプライベートでも本当によく呑みに行ったし、その生意気な印象とは打って変わって実によく人のことを観察してモノを言ったり行動している。たぶんナオトバンドのメンバーの中でも実は一番の常識人なんじゃないかと思っている。2014年の6月から6年間、ずっと俺の隣でベースを弾いてくれていて、やっとワンマンのステージを共に出来たことが本当に嬉しくて、ステージ中、何度もうみんちゅのほうを見てしまった。チャラいけど、本当にいいヤツなんだよな、うみんちゅ。
しかし一時期は俺のことを「心の兄貴」と称してくれていたものの、あれから時が経ち、うみんちゅもすっかり大人になって落ち着いてきたせいで、だらしない俺が徐々に浮き彫りになり、時々立場が逆転してムカついたり、時々介護されているような気持ちになることも否めないが、それでも何をされても本気で腹が立つことのない、今もかわいい後輩であり続けている。うみんちゅ、いつもありがとうな、こんな俺だがこれからもよろしくなブラジャー。
あ、ブラザーだった。
Dr / 小野雅人
小野くんは斉藤省悟というシンガーソングライターのバンドでドラムを叩いていて、俺がその省悟と仲が良かったことで必然的に出逢ったわけなのだけど、渋谷O-WESTでの初対バンの際に俺のステージを観た小野くんの俺への印象は「この人とはきっと仲良くなることはないな、、、」という感想を抱いたらしい。そんな小野くんの俺への印象も手伝ってか、それから何度か対バンしても、ましてや自分のイベントに出演してもらった際にも挨拶すらもままならないような時期が二年ほど続いていたのだが、当時ナオトバンドでドラムを叩いてくれていた泰平くんがバンドを抜ける際に、省悟バンドでの小野くんのプレイを見て気に入っていたので、柏のライブハウスで会った時に、一度一緒にどうだい?と声を掛けたことがきっかけとなり、2016年の1月からずっと、今日まで一度も欠かすことなく俺の後ろでリズムを刻み続けてくれている。小野くんはうみんちゅと同い年なのだけど、物事を正面からも斜めからも見ることの出来る力、冷静な分析力に思慮深さ、それでいて何と言っても耳が素直なことが本当に素晴らしい。歳を重ねると経験値が上がるぶん、どうしても人の意見に耳を傾けづらくなってくるのは致し方ないことなのに、小野くんは人一倍耳が素直で、咀嚼能力も高い。だからそのスキルもそうだけど、一緒にバンドをやっていてこんなに助かるドラマーはそうそういないんじゃないか、と心から思う。公私共々交流が深いとはまさにこのことのように、考え方も似ている部分が多々あるので、時々一緒に仕事もしたり、呑みに行ったり、その酷い第一印象はどこへやら、今ではバンドを超えて信頼の置ける存在だ。一緒に福島へ遠征に行ったり、語り合ったり、小野くんとは優しくて胸が温かくなる思い出がたくさんある。そして今回のワンマンの後にメンバーがバースデーサプライズをしてくれたのだけど、小野くんがその先頭に立ってサプライズ企画を陰で進めてくれていたこと、本当に感激しました。
いつも愛に溢れている小野くん、ホントありがとう、これからもどうそ宜しくだぜ!
Key / ニシナオユキ(LOMA)
ニシナオユキという男はミスターエピソードだ。本人はいたってそんなつもりは無いのだろうが、変わっている人というのは自分のことを普通だと思っているのは世の常で、普通だと思っているからこそ、それが恒常的に普通に繰り返されるものだ。そんなわけでニシくんはとにかく思考と行動が奇抜で、いつも我々を驚きと笑いの渦に巻き込んでくれる。いやニシくん、あなた本当に変なヤツだよ! ニシくんとはおーたくんと同じように新宿OREBAKOというライブハウスで7、8年前に知り合ったものの、それから何の接点も交流も無かったのだけど、そもそも自分の作る歌にはストリングスを始めとしたキーボードの存在の重要性をずっと考えていて、4年前に自分が「New Life Paradiso」という曲を作った時に、いよいよどうしてもキーボードの音が必要になり思考を巡らせていたところ、昔一度だけ見たことのあるニシくんのピアノ捌きがパァーっと思い出されて、それはまぁいきなりTwitterのDMでニシくんへ連絡を取った。まぁあれは完全なるひとつのナンパである。 ニシくんは音楽理論がしっかりしている人なので、今やナオトバンドの屋台骨のような存在で、自分で作っておきながら、何のコードを弾いているのかよく分からない俺に代わって、ニシくんがいつも優しく教えてくれる。おかげでメンバーは曲の構成こそ俺に尋ねてくるが、コードに関してはもはや俺の目を見ることなくニシくんに尋ね、かく言う俺自身も、そうか、これは◯◯なのか、、、と理解するという「ねじれ現象」がたびたび起きる。 ニシくんとも2016年の9月からずっとお付き合いさせてもらっていて、その弾きっぷりも呑みっぷりも傍で楽しく堪能させてもらい、時々違った意味で心配になることもあるけれど、この素晴らしきピアノマンのおかげで俺の音楽の世界を広げてくれたことを本当に感謝している。 ニシくん、ありがとうね、これからもよろしく。でも頼むから泥酔して朝まで路上で寝ることだけは気をつけてくれ!
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ワンマン後のメンバー未公開挨拶
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夢観客配信ワンマン『New Life Paradiso』ダイジェスト
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ワンマン最後のMCノーカット
愛でしかない、卑猥なバースデーケーキ(笑)
愛でしかない、メンバーからのメッセージ色紙ともりきこDANNY画伯の絵(泣)
マスクで顔を覆って人と逢うしかなかった2020年。ウイルスが見えないように、相手の表情が読み取りづらい。
己の想像力を試された一年でもありました。
辛いことがあればその先にきっといいことがあるよ、とは月並みだけど、きっとそれは正しいし、やっぱりそう「想い続ける」ことでそのような方向へ導かれるのだと思います。
来年こそは、そのマスクを外して笑い合える日が来ますように。
みんなの健康と、その健康な思考でハピネスな時間を多く過ごせますようにと、心から願う。
2021年の来年も楽しいことを考え、そうした渦の中にみんなを巻き込んでゆきたいと考えているので、皆さま、どうぞよろしくお願いします!
それではオーディエンスのみんな、どうそ良いお年をお迎えくださいね!
2020年12月31日 大晦日。
鈴木ナオトより、大いなる愛をこめて!
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