ニューライフパラダイス

  • 2016.07.12 Tuesday
  • 22:59


月並みなことだけど
手紙なんて書いてみたよ
夕べずっと考えていたんだ
そしたらなんか泣けてきちゃったんだよ

お別れは笑ってしよう
明日になればお腹も空くさ
でも僕はまたウソをついたよ
わかってる 心は知ってる

もっと一緒にいたかったけど
誰かれにも「その時」はやってくる
胸にあるタイムマシーン
乗ってばっかいないでさ
もう戻っておいでよ

そう 僕らが旅を続ける限りお別れはあって
手を振りあっては
同じ夢を見ていた空の下を歩いている

アルフレードはこう言ってたんだ
「ノスタルジーに惑わされるな」
「自分のすることを愛せ」ってね
トトはじっと聞いていたよ

そりゃ毎日好きなモノでも
食べていたら飽きることもあるだろう
でも今夜もまた浮かぶ月を見て
飽きるもんじゃないだろ?
眺めていたいだろ?

そう 僕らが旅を続ける限り思い出はあって
手を取り合っては
同じ月を見ている空の下で笑っている

ニューライフパラダイス
忘れないよ あの日の涙
ニューライフパラダイス
宇宙の彼方にまだ愛は隠れてる
だからそいつを探しにいかなくちゃ

そう 僕らが旅を続けた後で溢れてくる
その思いは誰かのためなんだよ
それが心を満たしてくれる

だから歩いてゆける
笑ってゆける
だから愛してゆける



【ガチ解説】
自分がまだ二十歳を少し過ぎた頃に観た名画中の名画『ニューシネマパラダイス』を初めて観た時の衝撃は相当なものだった。劇中で町を離れるトトにアルフレードが言った
「ノスタルジーに惑わされるな、自分のすることを愛せ」
というアルフレードの言葉に、トトに対する深い哀しみと深い愛情が交錯して詰め込まれていて、心の奥から切なさで震えたことをよく覚えている。
そのおかげで僕はその後の今日までの人生で、アルフレードの言葉に何度も助けられてきたし、あれから二十年以上の月日が経った今も、その言葉は生き生きと僕の胸の中でまだ蠢いている。
だからタイトルからも伺える通り、この曲の半分はアルフレードが連れてきてくれた曲なのだけれど、僕は僕なりの人生の中で出逢えた愛すべき人たちの顔が書きながらたくさん浮かんで、どんなに陳腐な存在であろうと、歌を作ってそれを歌える人間で良かったと、こうした思いを曲として残す手段を持たせてもらえたことに深く感謝している。

まだ七月だというのに、今年ほど自分が大切に思い、深く関わってきた人たちとのお別れが多い年なんて無い。それは、死も含めて。
この世界に「絶対」なんてことが無い以上、誰ひとり例外無く、今傍にいる人たちが来年の今頃にも自分の傍にいてくれる保証なんて無いのだと、だからこそ傍にいることは奇跡なんだと、僕はずっと思い続けてきた。
広い道の時は良かった、けれどこの先の道が先細りになって崖道になっていたらどうする。
明らかにキラキラとした街がその先に見えている道と、その先に鬱蒼とした森しか見えない道とで分かれていたらどうする。どっちへゆく?そうやって僕らは自らの意思であったり、誰かに誘われたりの選択を繰り返し、今、この道の上に立っている。

正解なんて無い。
僕らは繊細な糸で紡がれた世界で生きていて、それを解れさすまいとあくせくしているけれど、一度ほつれてしまった糸を再び同じように紡ぎ直すことがどれほど難儀なことか、それは分かってる。
何故って、人はそれぞれの異なるスピードとやり方でこっそり経験して成長しているし、傍にいなければそうした変化に気付くことが出来ないから。
同じ場所で再び巡り逢ったとしてももう違う人間になっている、それが道筋というものだから。

それでも人ってかわいくて、どんなことがあってもいつかはしっかり立ち直り、笑い、人に出逢って、また誰かを好きになって新しいコミュニティを築き、幾多もの色の糸をまた自ら紡いでゆく。
新しい仕事に就いて新しい評価を手に出来る人もいれば、家庭を持ってパパやママになり、新しい喜びや新しい価値観を手に、真っさらで新しい人生を歩んでゆく人だっている。
自分が知らなくたって、大好きな人たちがどこかでしっかり人生を謳歌している、と想像するのは、相手が大好きな人たちならば楽しいことなのだ。

人を思う時って、自分がとてもたくましく思えるんです。
若い頃のように、根拠のない自信を掲げて自分自分と胸を張っていた頃よりも、ずっと深い部分でたくましく思えるんです。
それはなぜなんだろう、きっと大好きだった人や大好きな人からの言葉の欠片を拾い集めて胸がいっぱいになっているからなんです。
だから今までいた場所とは違う新しい環境での帰り道にふと、同じ月を見ているのかなぁ、と自分を通り過ぎた人たちのことを思える瞬間が多ければ多いほど、その人は良い人生を送ってきたに違いないし、その一瞬こそ胸が痛んでも、その時に笑ってさえいられたら、傍で笑ってくれる人がいれば、それは豊かで愛しき出来事としてまたひとつ自分自身に重ねられる瞬間になると信じているんです。

今の僕にはわかる。アルフレードが言った「ノスタルジーに惑わされるな、自分のすることを愛せ」という言葉には、自分という人間がトトにとって絶対という存在に成り得なかったことへの哀しみであり、絶対という存在としてトトを傍に置いておけなかった自らの無力さと悔しさに溢れていたのだと。

自分のためだけに生きるには限界がある。
絶対的な存在が傍にあるからこそ、絶対的に成り得る人が傍にいるからこそ、人間ってたくましくも弱くもなれる。
この世界の向こうにはきっとそんな人がいるよ、もしかしたらもう傍にいるんだよ、そうした気持ちを歌にしたかったんです。
でもまだまだ力不足なんだ。
伝えたいことの半分も表現し切れなかった。
だから僕はそれを手に入れるまでは歌う。
伝えたい人がいる限り僕は歌うんです。

でもね、アルフレードはウソつきだよ。
トトはアルフレードに言われた通り、ノスタルジーに惑わされず、自分のすることを愛しながら生き続けた。
だけどそんなアルフレード自身はノスタルジーに惑わされながら生き、そして死んでいったのだ。
そんな、かつていつも一緒にいたアルフレードとトトが、長い年月を越えてその思いを再び巡り合わせる最後のシーンは、人間という生き物の儚さと愛しさ、そして悲哀を含んだ喜びを教えてくれる。

僕も死ぬまでにそんな歌を作りたい。
届けたい人に届く歌を歌いたい。
この曲がそんな足掛かりとなる曲となってくれることを願って。

生まれる前から愛してた

  • 2016.06.29 Wednesday
  • 12:52


僕は何をしてたんだろう
時間ばかり奪って
季節だけ過ぎた

あなたは今何をしてるんだろう
僕を呼ぶ声が聞きたいよ

なんにも怖くはないから
その手を離していいよ
あぁ思えば それを口にしたあの日に
運命がそっと動いたのかな

だけど生まれる前から知っていたような
そんなあなただから
必ずどこかでまた逢えるよ
だからどうかその時までのバイバイ

だって生まれた時から愛していたような
そんなあなただから
残ってる言葉には出逢えるよ
そのたびに僕は力が湧く

ずっと生まれる前から愛していたような
そんなあなたとなら
必ずどこかで繋がってる
その時までどうか覚えていて

だけど誰かのものになるのかな
誰かのものになるんだろう
誰かのものになったなら
その時はどうか

生まれる前から愛してたあなただから



【解説】
たった二日前に出来た新曲で、歌詞と曲が同時に出てきたので、元来遅筆な僕が半日もかからずに書けた。
ギターも持たず、外でiPhoneのボイスメモに録音しただけなので、当然歌う際のキーもコードも分からず、27日の月曜の夜にギターの近沢くんを呼び出して一緒にスタジオへ入り、キーとコードを確認した。近沢くんは急な呼び出しだったのにも関わらず、僕の要望に応えてギターを二本持ってくれた、ありがとう。そしてどうやらキーはAでした。

男って情けない生き物ですよね。
「やっぱ好きやねん」に代表されるように、世の中には男が女心を歌って刹那的に歌い上げる曲に溢れているけれど、実際の女の人はそんなにヤワな生き物なんかではないと、僕は思っている。
男は名前を付けて保存、女の人は上書き保存、とはよく言うけれど、道に例えれば、男はひたすら真っ直ぐな道を歩き続けて振り向いては、まだあそこにいる、ちょっと歩いてはまだあそこにいる、と安心し、また少し歩いて見えなくなったら不安になり見えるところまでまた戻る、しまいにはもうそこにはいないのに、まだあそこにいる、と思い込んでは立ち止まって凝視し続ける、そんなバカな生き物なのだと思います。なぜわかるのか、って、それは僕が男だからに決まってる。

女の人はその長さこそ個人差はあれ、曲がり角を曲がってさえしまえば、もう一度その曲がり角へ戻って探しにゆくことなどないのだと思います。
女の人は男と違って暇ではない。
だから後ろを歩く女の人が曲がり角を曲がって見えなくなってしまう前に手を差し出してあげなきゃいけない。もしくは後ろを歩く女の人を見失わないようにしっかり見ながら前を歩かなきゃいけない。
でもそもそも女の人が男の後ろを歩いている、という発想自体が陳腐な自惚れで、男がボーッと空を見上げている間に女の人が男を追い越して、しまいにはその先の曲がり角をすでに曲がってしまっている、なんてこともある。
だからたいした距離を歩いたわけでもないのに振り向いたらもういない、そんなことも起こる。
何にせよ、どんなパターンを想像してもひどく滑稽で、やっぱり男はどこまでもバカな生き物だ。

出来ることなら真っ直ぐな道も曲がり角も、登り坂も下り坂も、雨の道も嵐の道も、お天道様に照らされた道も月明かりの下の道も、本当に本当に大好きな人ならば共に一緒に歩きたい。
でも必ずどこかで疲れてしまう。そんな時、自分はどうするべきだったのか、戻るべきだったのか、休むべきだったのか、良い道を探してあげるべきだったのか、考えれば考えるほど答えは風に乗ってあちこちに舞ってしまう。

だから男は女心を勝手に想像してはラブソングを歌い、歌の中で精算しようとする。
精算の意味が悲しみなのか再生なのか、それは現実の世界の話だけれど、少なくとも男は歌の中で夢を見て、そうであって欲しいという望みや願いを持ってラブソングを歌う。
女心を都合の良いように勝手に解釈して妄想すること。
これはつまり、男心の最もたるところなんですね。
でもだからこそ、僕は世の中に溢れる男が女心を思う曲って大好きなんです。
だからそれを伝えられる男のシンガーが大好きで、自分もそうでありたいと願うんです。

それが例えどんなに陳腐なものでも。
だって男自体が陳腐なのだから。
僕自身が陳腐なのだから。

僕の車窓から

  • 2016.06.13 Monday
  • 23:16

since1996 敦煌 月牙泉

僕を乗せた汽車は西へ向かい
煙をあげて走る
そして僕は 君を思う
旅へ出て 君と離れて
半年が経ち 一年が過ぎ
君は元気にしているのだろうか

あの頃が懐かしい
あの頃が懐かしい

旅へ出た理由は僕にもよく分からない
分からないけど
君にはずっと分かっていたことだろ?
ほんの少し寂しいけど
それは君も 君も同じ
強くなるよ 頑張ってみるよ

いつも自分に甘えてばかりいた
だけど一人じゃ何にも
出来ないわけじゃないだろ?
急ぐことはない でものんびりも出来ない
何が大切なのか分かるためには
傷つくことだって必要だろ?

きっときっと きっと上手くゆくはずさ
でもちょっと 今はちょっと少し
君の声が聞きたい
車窓から見える今日の月はやけに青くて
だいぶ汚れた君の手紙を読むたびに
思い出すんだ あの空を

日が暮れる時 夜眠る時
考えること ひとつだけだな
君のことさ ふたりのことさ
こんなふうに離れていても
寂しさを力に変えてゆくことが出来るのなら
素敵なことだよね

今日も誰かと 手を振って別れる
なんでこんなに涙が溢れてくんだろ
僕も行かなきゃ そして少し急がなきゃ
どうしても譲れないものがあるなら
無理することだって必要だろ?

でもほんのちょっと
ちょっと弱くなってしまう夜もある
だからちょっとくらい
ちょっとくらい君に誉められたいな

きっときっと きっと上手くゆくはずさ
でもちょっと 今はちょっと少し
君の声が聞きたい
車窓から見える今日の月はやけに青くて
だいぶ汚れた君の手紙を読むたびに
思い出すんだ あの空を

君の瞳も唇も髪も耳も
指も胸もすべて思い出すのさ



【プチ解説】
現在の自分の代表曲と呼べる曲が『月にさけべ!』や『さよならリメンバー』であるとしたら、二十代の頃によく出演していたLOFTの店長やお客さんたち、つまり友人を除く多くのお客さんに初めて評価して頂き、ライブのたびに必ず歌っていた曲がこの『僕の車窓から』だった。
当時はライブのたびにアンケートを取っていたのだけど、ある日、のちに一緒にバンドを演ることになるMSGのメンバーであるサモンちゃんから、
「ナオトさんのライブはお客さんがみんなライブ中に歌詞をガン見していて異様な光景だ!」
との声に、言われてみれば確かにそうだ、と思ったのと同時に、アンケートを取ることに何の意味があるんだろう、と思い直して止めてしまったものの、毎回10〜12曲を演奏して歌うステージで、しかもカラー表紙歌詞冊子付きのアンケートに、殆どの人たちがマルを付けてくれていたほどの人気曲でした。

今はワンマンはもとより、長い時間のライブの時でも殆ど歌わなくなってしまったけれども、自分の中ではとても思い出深い大事な曲として今も胸の中にしっかり残っています。

不定期ながらも毎回デュオを組むたびに好評の声を頂いているもりきこJUNNYちゃんと、レパートリーも増えてきたことだしそのうち二人でワンマンを演ろう!なんて話も出ているので、その時にこの曲に出逢ってもらえたら嬉しいですね。
汽車なんて今の時代走ってませんよね、なんて当時は言われたものだけど、走ってたんです、西の方の中国では!
この曲を作るきっかけとなったのは下記のブログの体験が元となっています。
旅のことはもちろん、当時のナオトバンドも懐かしい。
モノより思い出とはよく言ったものです。
そのうち若き頃の旅回想記など書いてみたいですね。

2013年2月18日のワンタイ参照。
『旅の話、そして現在。』

君と僕

  • 2015.10.20 Tuesday
  • 12:30


あぁテレビの中は
もうバラエティばっかりで
みんな必死になって
数字を取ろうとばかりしてるよ

「もううんざりね、なにこのつまんない人」
ノンアルビールを飲みながら 君が言う

ろくでもない
でもこの美しき世界で
今君に何を届けよう
頼りなき毎日に
胸がグッとくるような

君もそうだろ?
今もそうだろ?
何も難しいことはない

僕はそうだよ
ずっとそうだよ
今も聴こえるあのメロディ

ダーリンダーリン!
なんだいベイビー?
振り向けば
笑っている 僕のそばで

ろくでもない
でもこの麗しき世界で
君と僕の何を繋げよう
たくましく 矛盾もない
そう 愛と呼べるような

だけどそうだよ
みんなそうだよ
迷いながら歩いている
だからそうだよ
みんなそうだよ
一人より二人がいい

ダーリンダーリン!
こっちおいでよベイビー
抱き合えば
狭い部屋も広い海になる

そうだよ これでいいんだよ
君と僕 僕と君




【プチ解説】
色々とブログを書き溜めてはいるものの、なかなかまとまらずに書き終えることが出来ぬまま、気付けばワンタイの更新が何と三ヶ月も滞っている。
ブログを書き始めてから今まで十二年の間で、これほど長い期間ブログを更新しなかったことは一度も無く、いくら何でもこれは酷い、ということで、今回も前回前々回に引き続いて歌詞カテゴリーから、新曲「君と僕」のプチ解説です。

プライベートやライブMCでの下ネタが多いせいなのか、あまりそうしたイメージを持たれることなく誤魔化せている(誤解されている)と思うのだけど、自分の曲は明るい曲が少ないんです。じゃあ暗いのかと言われるとそんなことは無いのだろうけど、例えば朝の光が射し込む部屋で流せるような、例えば天気の良い昼下がりの海岸通りをドライブしながらかけたくなるような曲が僕には無いし、夏のBBQで誰かが持ってきていたギターを渡されて「ねぇナオトさん、何か歌って!」と女の子に可愛い顔で頼まれたとしても、そんな場面に相応しい軽快な曲を僕は作ってきていないのだ。
コレ、ちょっとしたコンプレックスでもあったんですね。

この「君と僕」は先月九月の代々木laboスリーマンに合わせた新曲だったのだけど、同時に自分の中では復帰作という意味合いもあって、今までの自分の曲調には無かったような軽快な曲を書きたかった。さよならリメンバー的な曲ではなくて、先述したような天気の良い午前やドライブ中に流したくなるような曲を書きたかった。
ただBメロからサビにかけてはだいぶ前から出来ていたものの、どうしても良いAメロが浮かんでこなくて、最終的には3パターン出来たのだけど、歌詞が同時に出てきて、なおかつ言葉乗りが良かった今の形に落ち着いた。

歌詞はメロディが無くとも詩として成り立つもの、とこだわり続けてきた気持ちはひとまず隅において、歌詞だけ読めば別に何てことない歌詞だけど、メロディに乗ると生き生きと言葉が動き始めるような曲を、と明確な目的を持って作った曲なので、それが一人よがりな結果になることなく、そんな曲として届いてくれたら嬉しい。
とは言うものの、やっぱり100%言葉乗りだけを重視した軽快なことを書き切れていないのがまったく自分らしいというか、伝えたいことを残しておきたい気持ちが歌詞に出てしまうのは、もう致し方ないのだけど、どこか一節にでもそういう思いを残しておかないと、歌い続けてゆくことなんて出来ないんだよね。

本当はもっと解説したいところだけど、今の時点でもプチ解説ではなくなりつつあるので、前回のようなガチになる前にやめておこうと思うが、あとひとつ。

初披露のライブでは、Aメロの五小節目からの歌詞を
“みんな必死になって笑いを取ろうとばかりしているよ”
と歌っていたのだが、僕がいうバラエティばかり、というのは何もお笑いのバラエティ番組だけを指しているわけではないので上記の歌詞になった。
あとは最後の一説を、
“君と僕 僕と君”
と現行のまま君と僕の距離感を保つべきなのか、
“君と僕 僕の君”
と歌って胸キュン度を上げてやるべきなのか、今も悩みどころである。

あぁ、今回も長くなった。


2015.9.21 代々木labo 鈴木ナオトバンド「君と僕 」ショートver.をワンタイ読者だけに限定公開。

小器用なひと

  • 2015.07.15 Wednesday
  • 21:00


あぁ、不器用なひとは言葉が足りなくて
胸の奥の思いを上手く伝えきれない
あぁ、おしゃべりな僕は無駄な言葉が多くて
どれも嘘じゃないけど君に上手く伝わらない

あの無口な人が笑えば
きっと季節外れな花も驚いて咲く
小器用な僕は 誰かに合わせて上手く笑う

水のように透き通ってたはずのこの思いは
覚えてきた言葉たちにジャマされてしまう
あぁ、軽薄なロマンチストの言葉より
不器用なひとの笑顔は美しい

もう何か面倒くさいし あなたがそう思うなら
もうこれ以上何も言うつもりもないけど

誤解がずっと解けないのなら
そのイメージの中で泳いでみましょう
あなたは何も知らないままで 僕を責める

泣くことよりは簡単なこの振る舞いかたは
時々すごく疲れるから ゆっくり眠りたい
もしかしたら一番守りたい人は誰でもなく
僕自身なのかもしれない

水のように透き通ってたはずの言葉たちを
覚えてきた知識とやらで難しくしてしまう
カッコつけることがこんなにカッコ悪いことだと
僕も気付いて

ホントは君も気付いてる
それでもイメージが大切な小器用さんは
今日もまた笑う



【プチ解説】
時々、君はナルシストだね、と言われることがあるのだけど、僕はそのたびに、ナルシストだなんて、それはある意味褒め言葉だよな、と都合良く解釈して胸に収めている。
だって他人がどう思おうと関係ない、俺は俺だから(私は私だから)と、いくら嘯いてみても、みんな少なからず他人のことを気にしながら生きているでしょう。
同じ出来事が起きても一人でいたらドラマにならないことも、二人でいるとドラマになるように、人は人と干渉し合いながら生きている。

先日、アイノライトのうみんちゅと呑んだ時に、自分が他人にどう見られているか、というよりも、他人に自分をどう見せるか、ということのほうが大事だよね、とセルフプロデュースについて大いに語り合ったのだけど、歩き方からビールの呑み方、腕の組み方から女の子の胸の揉み方まで研究した人間のそれは、明らかに他の人間のそれとは違うし、楽器を弾いてステージに立つ人間なら、どうしたらカッコ良く見せれるのか、と鏡を見て動きながら研究した人もきっと多かろう。

髪型しかり服装しかり、そんなふうに自分のことに気を配っている行為を、ある人たちはナルシストと言うけれども、これは自分が大好きというよりも、コンプレックスだらけの自分を好きになりたいが故の思いが根っこにあるからなのだ。

でも正直、何がカッコいいかなんて正解は無いし、そんなの分からないよね。
その辺については過去のワンタイで語っているので興味のある方は是非そちらを。
『カッコいいを語る』

人が人と干渉し合いながら生きている以上、自分のことを理解してもらえないことはとても寂しいことだ。
心の中が醜くうごめく時の元凶が嫉妬にあるとすれば、自分のことを正当に理解なり評価してもらえないというのは、小さな棘がいつまで経っても指先から抜けてくれないような、そんな感覚や気持ちになるものだ。
かといって、分かってもらおう分かってもらおうとして心を右往左往させてしまえば、自分の持ち味からどんどんかけ離れていってしまう。
かといって、平然と振舞っていれば、あの人は図太い人、との誤解を受けることもあるかもしれない。
そう考えると、それぞれのやり方は異なっていても、胸の中で感じている痛みややるせなさに大した変わりはないのだと思う。

普段優しい人がたまたま一度怒っただけで印象を損なうことがあったり、普段ムスッとしている人がたまたま一度優しくしてくれただけで印象が良くなったり、まったくイメージってヤツはダメージですよね。

それでも傍にいて本質に気付いてくれる人はいる。
だからそこを気付いてくれる人を大事にすればいいんです。
願わくば、その気付いてくれた人がそんな自分を見て、まったく見栄っ張りでしょうがない人ね、とこっそり笑ってくれたらなお嬉しい。
何か今回はちっとも曲の解説になっていないし、プチどころかガチになってしまったが、せめてこのPVを観てくれた人たちの中で、この曲の本質に少しでも気付いてくれる人がいてくれたら嬉しいです。

しかしそれにしても、iPod nanoだけで撮影したこのPVは、素人編集ながら本当に楽しかった!

道の途中

  • 2015.06.24 Wednesday
  • 17:25


人は生まれる時と死ぬ時は結局一人だから
せめて生きている間くらいは
人と関わっていたいんだ
だけど 傍にいる君が笑うたびに
なぜにまた胸が痛むんだ

求め過ぎたら壊れてしまう
だからこのままでいい
でも求めなくちゃ分からなくなるから
知ることも出来ないから
だけど 君を強く抱きしめるたびに
その力でダメになってしまう気もするんだ

やがて 君が何かに目覚めたら
背中をそっと押してあげれるかな
傍で笑う君の目の奥に映る戸惑いは
答えへの道の途中

君はまだ 僕のパンドラの箱を
ひっくり返してないから
その小さな手で一度くらいは壊してみて
その目で確かめてみたらいい
失くすことが怖いというよりはね
失くしていいモノのほうがたくさんあるから

やがて 君が高く飛ぼうとして
つまづいたら手を貸してあげれるかな
寄り添うことだけが幸せじゃなく
さよならも出逢いへの道の途中

本当はもっともっと
君を強く抱きしめることで
胸にずっとずっと
こびりついてた自惚れを壊したかったんだ

やがて 君が上手く飛べた時は
両手広げ 手を振ってあげたい
そうだね、また今度君が振り返る時
僕はそこにいてあげれるかな

ほらね、ここは道の途中だから




【プチ解説】
曲というのは少なかれ誇張はあるものの、大さじ二杯ぶんくらいの経験は礎としてそこにあるものだ。
僕はあくまでドリーマーでありファンタジスタではないので、完全なる作り話の中で歌は歌えない。
いや、もちろん歌えるけれど、言葉に共感して引き合える共鳴力が無い限り、言霊を含まない言葉はすぐに揮発して消えてしまう。
ただ同時にそれは、きっと自分に想像力が足りないからだとも思っている。

「道の途中」はもう十年以上も前の曲になる。
だけど今となっても切ない思いがこっそりと孕んでいる曲でもある。
プチ解説、などと謳う随筆欄を設けてしまったせいで、これは書かなきゃいけないのかとも考えたが、考えてみればこれも一つの曲に対する解説になっていることに気付く。
そもそも歌を作る、という行為自体、上手く説明出来なかった思いや出来事を、追憶と共に整理してまとめる作業なのだから。

ただ今思えば、己の自惚れを抱きしめることで壊すことなど出来やしないのに、それでもそれを繰り返していたのは、ただ純粋に抱きしめることで様々な思いを紡ぎ、むしろ自惚れがあったからこそ許し合えることが出来ていたのだと思う。

そしてどうか、どうか幸せに。
その思いは今も変わらない。

ぼくが泣く

  • 2015.01.18 Sunday
  • 19:45


忘れられないことなんて
きっと誰もかれもが同じで
ぼくはひとりぼっちだなって
思うことも同じで

上手くいかないことなんて
きっと誰もかれもが同じで
誰かと自分を比べたり
してしまうことも同じで

目に見えているものだけが
すべてじゃないから
悲しい詩人になる前に
早く寝てしまおう

情熱を越えた向こうに
どんなものが待っているのかが
霞の奥に見えてきたから
少し怖くなったんだ

目に見えているものだけを
すべてと思えば
あっけなく壊れてしまうものばかり

あぁどうして迷ったりしてしまうのだろう
目の前の壊れそうなものたちに向けて
純粋を失くしたことに気付いて
カッコ悪く ぼくが泣く

情熱を越えた向こうは
草も花も何も無い場所で
ひとりじゃいれないと知ったから
君のことを考えた

目に見えているものだけが
すべてじゃないけど
悲しい嘘つきになる前に
君に逢いにゆこう
君に話してしまおう

すべて話してしまおう




【プチ解説】
二十代後半の頃、音楽を辞めてしまった先輩に音楽を辞めた理由を問うたところ「情熱が失くなった」と答えたのを聞いて、情熱とはイコール青春なんだな、と思ったことを今でもよく覚えている。
確かに情熱だけですべては越えられない。
青春はいつか終わる。いい歳こいて純粋な人間なんてむしろ気味が悪いだろう。
けれども情熱を失くすことは、老いに似た一つの恐怖でもある。
ただ、情熱を否定するある種の大人たちの「常識」で、いったいどれくらいのモノを越えられているんだろうと考えると、むしろ常識という靴では越えられないモノのほうが多いはずだ。
それについては他の曲で歌っているので、それはそのうちここにアップするとしても、
人に話すことで楽になる人もいれば苦しくなる人もいて、人に話さないことでストレスが溜まる人もいれば、人に話さないことで自らを守れる人もいる。

でもやっぱりそこに哀しさは含有される。
だからこそ、目に見えているものを信じたい。
そんな「君」が傍にいてくれることに感謝するのは、きっと自らをさらけ出した時なのだから。

ポケット

  • 2014.12.14 Sunday
  • 09:41


君がもし 知らず知らずに
大切な何かを置き忘れてきてしまっても
僕がそれをポケットに
気付かないふりしてしまっておいてあげるよ

寒い日には君の手を
僕のポケットに入れてあげて

駅までの狭い道を
手をつないで歩いてみる
大事なものは言葉じゃなく
このポケットの中にある

さりげなく握りしめて
君に返してあげれたらいい
そしていつもの月のような
笑顔が戻ればそれでいい

寒い日には君の手を
僕のポケットに入れてあげて

どこまでも続く道を
どんなふうに歩いて欲しい?
迷いながら 探しながら
そんな感じでもいいかな?

君の中の 僕の中の悲しい過去や綺麗事は
手の中で温めてすべて溶かしてしまえばいい

約束は一つでいい
約束は一度でいい
約束は求めなくたっていい
約束は叶えればいい




【プチ解説】
友人の結婚式というのはとても嬉しい。だけどその後の披露宴のたびに歌を頼まれるので(しかも宴の最後のほうで)酒は呑めないし腹いっぱいにもなれないし、何より最後まで落ち着かないし、一時期、歌うことを本気で断っていた時もあったほど、結婚式と言えば必ずギターがついてきて、そこにカメラマンとしても頼まれたりすると、もはや披露宴は僕にとってただの疲労宴でしかなかったものだ(笑)

今はみんないい歳になって、周りの友人たちの結婚も殆ど片付いたので、
結婚式そのものに出る機会も随分と減ったけれど、この曲はそんな誰かの結婚式で歌う為に作った曲で、バツイチ同士のふたりだったので甘ったるい曲は違うな、と思ったし、そんな無責任な歌は自分自身も長く歌えないな、と思って正直に書いてみたら、まったく結婚式ソングっぽくなくなってしまった、というね(笑)

でもそうやって人の絡んだ思い出があるおかげで、今も一年に一度くらいは歌う曲として傍にあるし、あの時の友人の喜んだ光景を思い出すことも出来る。
歌は思いやりなんだ、って思うきっかけを与えてくれた曲ですね。
人としての思いやりも、それこそポケットにそっと隠し持っておきたいものですよね。

君を思う

  • 2014.12.02 Tuesday
  • 22:43


君と歩いた道を 風の流れにそって
歩いてみるのさ 緑色の風に吹かれて
君と過ごした日を思い浮かべながら

余計なことばかり言ってた気もするけど
今となれば もう過ぎたことさ
気にしないで
僕と君はもう 他人なんだから

君といた毎日の中で 僕は何を君に残せたかな
あの日二人が感じていたはずの
隙間の無い優しさをまだ覚えてる?

風に流された君との約束は
夕暮れの中に溶けて消えてゆく
風に流されて聞こえてくる噂を
僕は聞きながら
僕は知りながら
気にしながら

始まりの時と終わりの時くらい
もう少し素直になれなかったのかなぁ

風に流された肝心な言葉は
今も僕の中に溶けずに残ってる
風が連れてきた 懐かしい歌や懐かしい匂いで
初めてのキスの日のことを思い出してしまった

風に流された君との約束は
もう夜空の向こうに溶けて消えてしまった
風に流されて聞こえてくる噂を
僕は聞きながら
僕は知りながら
ここにいて




【プチ解説】
2012年5月12日のワンタイ参照。
『ちょっとだけステキなお話』

風の詩を聴け

  • 2014.12.01 Monday
  • 18:05


今年もまた夏が終わり
色々あったけれど
強くなれた人も
変われなかった人も
明日からまた頑張ればいいさ

思い出は素敵だけれど
今をもっと好きになれ
少しくらいワガママなほうが
ずっと自分らしくあれるもんだよ

新しい季節の風が吹くこの頃は
終わることのない 素敵な夢を見る

誰だって ひとつやふたつの
不安な夜もある
そんな時は外へ出て 風の詩を聴け

今年もまた秋が来て
月がとてもキレイだ
僕を通り過ぎた人たちと
またどこかで逢えたらいいな
またどこかで笑えたらいいな




【プチ解説】
自分の曲の中で一番古い曲で、考える限りたぶん十八年前くらいに作った曲だと思うのだけど、作った当初は駄作だと思って三年くらいボツにしてたんです。
でもある日のライブでどうしてもバラード調の曲が一曲欲しくて、録り貯めたデモをあさっていたら出てきて、当時は毎回ライブアンケートを取っていたのだけど、まぁこれでいっか、とその時限りのつもりで歌ったこの曲の評判が一番良くて、えー!なんで!みたいな。

季節モノの曲なのでライブでは秋にしか演らないけど、こんな古い曲を今も歌っていられるのは、この曲を好きでいてくれるお客さんたちが今日まで育ててくれたおかげだと思っています。
育ててくれた恩を忘れないために、また来年の秋にお逢いしましょう。

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