赤裸々

  • 2013.07.04 Thursday
  • 19:05


久々にワンタイを書いている。
書きたいことが無かったわけではなく、むしろたくさんあったくらいなのだけど、どうも頭の中でうまくまとまらなくて、何度もアプリを開いて書き始めたものの、ビールのせいか雑念のせいか、三行も書くとピタリと筆が止まってしまっていた。
でも僕は考えた。
待てよ、考えがまとまるなんてことのほうがむしろ稀ではないか。
誰だって皆、目の前のまとまらない物事や状況に翻弄されたり悩みながら、瞬間の思考や判断を求められながら生きているではないか、と考えると、さっきまでの自分が実にアホらしくなってくるし、実際に考えがまとまるまでいちいち待っていたら、この通りあっという間に七月になった。

カップラーメンを見てみろ。
彼はたった三分程度の時間で我々の空腹を満たして、空腹という問題を解決させてくれる。
それに比べて俺はなんだ。
思考にも話題にも賞味期限というモノがあることに気付いていながら、決してもったいぶっていたわけでも何でもないけれども、放っておいたらみんな腐ってしまった。
それが物の常、世の常なのに。
使わない腕時計は時を刻むのを止めてしまうのと同じだ。
そして心は待ちぼうけ。
結局まだ何もまとまっていない。

最近思う。
誰だって少々の見栄は張るし、つまらない小さな嘘もつく。
ただ、人を騙すことは騙された人から真実を盗むことと同じだよな、と。
盗まれたものがモノであれば、運が良ければ返ってくるからそれでいいけれど、心の場合はそうはいかない。
失った信用はそう簡単には返ってこない、と昔から言われているのはつまりそういうことだ。

だからこれは歌にしなきゃいけない。
誤解の多い生き方を歩んできてしまった人にもきっと責任はある。
だって類は友を呼ぶ、と言うじゃない。
だとしたら、そんな似たもの同士が集まる中で誰かが自分の傍を離れていったり、知らないところで自分の悪口を言ったりしていたとしても、あぁそうか、自分がいた場所はそういう場所で、自分はそこまでの人間だったんだなぁ、と考えたほうがずっとリベラルだ。
だから、そういうことを批判するのではなく、何かこう、勇気が湧いてくるような、そんなことどうでもいいじゃないか、と思えるような曲を書きたいな、と思っている。

そんな中、夕べYouTubeで平原綾香の「ひまわり」という曲のPVを観て、心が真っ青な空で晴れ渡ったような気分になった。
つまり、歌の力で感動した。
音楽としてのギターやベース、ドラムやストリングスの多彩なフレーズにももちろん心は激しく動くけど、結局自分の心の琴線は、歌詞や歌声といった息吹にこそ強く反応して感動するんだな、と改めて思ったのだ。

誰だって笑い声の聞こえるほうへ行きたいし、そういう空間は大好きだけど、行くのと流されるのでは意味が異なる。
笑わせてるのか笑われているのか、それは似ているようでまったく似て非なるもののように、それが得意なら得意な人に任せればいいし、得意でなければ無理する必要も無い。
自分が得意とするほうへと素直に向かえばいいのだ。
その時に僕が僕自身思うような力で歌うことが出来たら、きっとそれが答えなんだろう。

今日は蒸し暑い。
どうやら西から嵐がやってくるという。
でもそんなことより、君の声が聴きたい。

さぁ、夏はすぐそこまで来ているよ。

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