老いを語る

  • 2013.08.07 Wednesday
  • 16:30


小心者の自分にとって、恐れているモノをいちいち挙げていたらキリがないが、その中の一つに「老い」というのがある。
何を指して「老い」と言うのかをまずハッキリさせなければならないと思うのだが、そもそも老いというのはどこからやってきて、どこからが老いと言えるのだろうか。
ハッキリしたことは言えないけれども、老いというのはやはり内面から襲ってくるモノ、と考えるのが妥当な線だろう。
それは周りを見渡せば容易に見つけられることで、老いに限らず、女の子の可愛さ一つ取ってみても、心がムスッとした美人さんより、心がスカッとしたフツーの子のほうが可愛かったりする。
可愛く見えるのではない。実際に可愛いのだ。
これは、暗がりのクラブの中ではそこそこの女の子さえも三割増しで可愛く見える、などというような錯覚とはまるで異なる。

人間、三十、四十も過ぎれば、誰でも心に三つや四つくらいの荷物は抱えているもので、それは会社の立場であったり、借金であったり、年老いた親の存在であったり、住宅ローンや訴訟問題を抱えていたり、はては愛人が孕んでしまったり、それはそれは数え上げたら枚挙にいとまがない。
まだ一つや二つの抱えごとなら屁みたいなもので、今簡単に挙げた事柄を丸ごと抱えている人などその辺にゴロゴロいるし、まるで信じがたい責務を背負いながら一日一日を必死に生きている人がいることも知っている。
そんないかんともしがたい生活のしがらみに翻弄されながら人生が成り立ってゆけば、外見を始めとする物理的な老いの速度はもとより、心のほうがずっと早い速度で老いてしまうのも理解出来るし、それは致し方ないような気すらしてくる。

時々、鏡には映らない、自分では気づけない老いという影が、顔を含めた体のあちこちに確実に表れ始めているような気がして、鏡の前に立つことが恐くなる時があるのだが、なるほど、老いは決して歓迎出来るようなモノではないが、老いに対しての免疫は老いることでしか得ることは出来ないのだな、という覚悟を持ち始めてきたのも確かではある。

よく、僕は(私は)毎日充実した生活を過ごしています!なんてアピールまがいの内容を、ブログやらFacebookを始めとしたSNSに書いている人を見かけるけれども、それを続けてゆくとそれがやがて強迫観念にもなって苦しくなってゆきやしないかな、と余計なお世話ながら心配になる。
個人的には何も毎日を充実させなきゃいけないだなんて思わないし、むしろ毎日が充実していることのほうが不自然だとすら思っているからだ。
仕事や家事や子育てに追われ、それをこなすことだけで精一杯で、それだけで一日があっという間に終わってしまう人も多いだろう。いや、大人はそうした人が殆どかもしれない。
けれどもそれが充実していないのか、と言われたらそれは違う。
そもそも充実の基準はどこにあるんだ、という話にもなる。やることが与えられていて、それに対しての評価や対価がもたらされていれば、それは立派に充実した時間を過ごしたことにはならないか。

『双子のパラドックス』ってあるじゃない?
ある双子の兄弟の弟のほうが、光速で飛ぶ宇宙船に乗ってしばらく宇宙を旅して再び地球へと戻ってみると、出迎えた兄はすっかりお爺さんになっていて、宇宙船から降り立った弟のほうは出発する前と何ら変わりない姿のままだった、という。
まぁその双子のパラドックスの例は少し極端だとしても、現実の世界にもそうしたことは実際にあり得る話だとは思うよね。
それを現実に当てはめて考えれば、先述したような物事に翻弄されて、心を立ち止まらせるな、という風に考えることが出来る。無理に感じようとしたり動こうとする必要はないけれども、あまりに長い時間心を立ち止まらせてしまうと、その双子の兄みたいになってしまうよ、って。

結局、今の自分を取り巻く環境がそのまま半年後、一年後の自分に繋がるわけでしょう。今すぐ変わらなくとも、今自分の周りに置くモノを変えてゆけば必ず状況は変化する。その最もたる存在はやはり「人」だと思うのだけど、よく、ちょっと色々と考えたいから、といって長い期間引きこもる手段を取る人がいるけれども、あれは一番良くない方法だよね。誰にも会わないということは、他者の意見という風が入ってこないということで、環境が変わらない、ということは、それをそっくり一年後二年後の自分に持ち込むことになってしまうわけだからね。
引きこもる場所が図書館なら話はまた別だけれども。

だからきっと「老い」も間違いなくそうで、今自らの老いを感じてしまったとしても、その「今」をどうするかで、また一年後の姿が変わってきたりするものだと思うよね。
時々いるじゃない、出会ってから十年以上も経つというのに、会うたびに若々しくなっている人や、あぁ、この人年を取ったな、と思っていた人が、少し時間を置いて再び会ってみると、すごく若々しくなっていたとか。
そういう人は言葉までも生き生きとしていて、それを聞く人間に不思議な力を湧き起こさせてくれる。
だからそういう人に会うたびに思うのだ。
この人はきっと、心を立ち止まらせることなく、薄っぺらな充実という言葉だけに惑わされずに、今をきちんと意識して生きている人なのだろうな、と。

捨てることなんて簡単なモノばかりが傍に溢れていた僕の人生は、いつの間にか捨てれないモノばかりが傍に溢れる人生へと変わった。
それは歓迎すべきことだし、ずっと手ぶらで人生を歩けるワケなどない。
未熟だった自分のせいで、失った誰かを思って胸を痛めることもあれば、流れた時間の多さに不意に気づかされて胸が痛くなる時だってある。
そんな思いはこれからさらにその速度を上げるだろう。

僕の人生を賑やかにしてくれる家族や仲間たちの存在には本当に深く感謝しているし、きっとこれからもずっと大事にし続けてゆくに違いない。
だからこそそれと同時に、僕自身が一人の人間として、個人として賑やかな心を持ち続け、一人でいる時の価値をより高めてゆかなければならないと切に感じている。一人でいる時の自分こそ肝心なのだ、と。

だから僕は、これからもっと責任を持って何かに思いきり取り組み、責任を持って思いきり遊び、責任を持って思いきり笑う。

だから今日も僕は鏡の前に立つ。
決して取りこぼさず、放棄しない。
それが鉄則。

そして老いで何よりも恐ろしく、一番に表れるのは「言葉」なのだ、ということを肝に銘じて。



【追記】
そんなわけでチラホラと要望のあった鈴木ナオトのMC集を。
さすがにCDにするわけにはいかないし、一般に垂れ流したくはないし、そもそも作っておいてこんなものを誰が観るんだ、という気持ちでもあるので、ワンタイ読者限定で公開です(笑)

そんなわけで皆さま、実に気まぐれ更新なワンタイですが、今後もライブ活動と共に、よろしくお願いします、ワンダフル。


鈴木ナオトちょっとだけMC集。

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