哀しみを語る

  • 2013.08.09 Friday
  • 02:57


哀しみをグラスの水に浮かべたら沈むだろう。
それは、重いからだ。
哀しみというのは沈殿している感情で、
そんな沈殿している感情を、
音楽や景色や、匂いや言葉や、
写真や映画といったものがきっかけというマドラーになって、
何の前ぶれもなく沈殿しているものを掻き回す。
その瞬間、沈殿していた哀しみが動きだして、
すべてを覆い尽くすのだ。

水は濁り、透明さの欠片もなくなる。
だから何も見えなくなる。
唯一見えているのは、それを手にしている自分だろう。
哀しみを見ないで、自分だけしか見ていない。

だから思う。
哀しみというのは、
きっとじっとする為に動いているのだ。
沈殿に向かって動いているのだ。

哀しみは消えない。
哀しみは沈殿している。

けれども、感じる、ということが、
動く、という意味だとしたら、
本当のマドラーは自分自身なのだ。

掻き回しているのは自分。
自分こそがマドラーそのものなんだろう。

けれども生きている限り、
じっとなんてしていられないだろ?

それなら飲み干してしまえ、そんなもの。
大丈夫、ほんの一瞬、ほんの少し苦いだけだから。

あとは抱きしめよう。
忘れる必要なんて無いのだから。

calendar

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< December 2019 >>

鈴木ナオト twitter

facebook

selected entries

categories

archives

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM