Re: 字を語る

  • 2014.01.28 Tuesday
  • 21:20


今や我々の生活の中で電子メールは必要不可欠なツールに昇華して、
手紙という存在をはるかに凌駕してしまったことは否めない事実だが、
だからといって手紙が世の中から失くなってしまうとは思わないし、
今後も個々それぞれの存在意義を見いだしてゆきながら共存してゆけるのではないか、と考える。

けれども電子メールが文字コミュニケーションの主役となってしまった今、
なかなかその相手の書いた字を見る機会というのは
昔よりはるかに減ってしまったと感じているのだが、
それでもやはり手紙というのは良いもので、それを手にした時や封を開ける時、
そこに書きしたためられてある文字をゆっくりと目で追っている時のあの時間は
メールのそれとは比べものにならないほど気持ちが高揚し、
それを書いてくれた相手の気持ちが真摯に伝わるものだ。

時々、ハッとするほど達筆な女の子に遭遇する。
あれは実に素晴らしい。
その美しい字の隙間から、その人の深い教養や知的な何かが滲み出てくるようで、
読む側のこちらの背中までピシッとさせしまう、そんな力を持っている。
ただ、絶対に字が綺麗でなければいけない理由なんてないし、
男は、小さくて丸く柔らかい、そういったモノになぜか弱い生き物だ。
だからぼくはスリムな女の子よりも少しポッチャリしている女の子のほうが好きだ。
いや、今はそういう話ではなくて、ぼくは女の子の書くあの丸っこい字がとても好きだ。
あの可愛らしい丸い字は、ぼくをとてもやわらかい気持ちにさせてくれる。

けれどもこちら側の想像や許容範囲をはるかに超えたひどい字を書く
女の子に遭遇してしまった場合、話は別だ。
むろん、字だけで相手の人間性を判断してしまうほどぼくは愚かではないが、
ぼくには今思い出しても忌々しい、字にまつわる苦い思い出がある。

ひと昔前、世田谷は駒沢のアパートで暮らしていた頃に、
空き巣被害に遭ってCDを数百枚盗まれてしまったことがあるのだが、
もうその時の悔しさといったら、二十代中頃に友人と呑んでいた新宿歌舞伎町で、

「五千ポッキリでいいよ兄ちゃん!」

というポン引きの兄ちゃんの言葉に誘われるまま友人共々中へと入ったものの、
女の子を前にすっぽんぽんの裸になった後で、
あと五万円出しな、と言われて憤慨した時くらい、それはそれは悔しい出来事だった。
あの時は電光石火の如く服を着て逃げたのち、
ポン引きのあの野郎をぶっ飛ばしてやろうと友人と二人歌舞伎町を探し回ったものだ。

空き巣被害に遭ったその日の夜、ぼくは自分がそんな被害に遭っていることとも知らず、
ある女の子と三軒茶屋で呑気に呑んでいたのだが、
彼女が終電を失くしてしまったこともあってウチへ泊まらせてあげることになり、
朝方の四時頃、ぼくのアパートへとタクシーで一緒に向かった。
そしてアパートへ到着し、お互いシャワーを浴びて、さて、それでは始めますか!
ではなくって、音楽を掛けながらまた呑み直そう!とステレオ付近に目をやった時、
CDラックに収まりきれなくなってそのラックに積み上げていたはずのCDが
そこから丸ごと消えていることに気付いた。

「あれ!? ねぇ、今日地震とかあったっけ?」

CDを積み上げていたラックと部屋の壁の間には大きな隙間があった為、
地震か何かがあって積み上げていたCDが崩れて向こう側に落ちたのかな、
と考えたぼくは、その隙間を覗きこみながら彼女に話し掛ける。

「地震?えー、分かんない、あったかなぁ」
「だよなぁ、地震なんてなかったよなぁ」

ぼくはそう言いながら壁とラックの隙間をいつまでも覗き込んでみたが、
注意深く見た限り、そこから大量のCDが崩れ落ちたような形跡はどこにもなく、
そこだけでゆうに五十枚はあったであろうCDが、跡形もなく忽然と消えていた。

正体不明の不安がぼくの胸に押し寄せて、一つの引き出しにCDが四十五枚、
全部で四百五十枚収容出来るCDラックの引き出しを一つガバッと引いてみる。
無い、、、何も無い!
空っぽになっている引き出しを見て、瞬時にして体が凍りついた。
そしてその隣の引き出し、またその下の引き出し、と続けざまに開けてみると、
全部で八つあるうちの四つの引き出しすべてが見事スカスカの空っぽになっている。
そんな信じられぬ光景に酔っ払った頭を激しく蹴飛ばされたぼくは、
そこで初めて自分の身に何が起きたかを知った。

「○○ちゃん!空き巣に入られた!」
「えぇぇーーっ!!!」

ぼくは六畳一間の狭い部屋の中を、まるで広大な海でも見つめるかのように
目を見開きながら慎重にゆっくりと見渡した。
二台の一眼レフにロシア製のトイカメラのロモはある。
愛器のギブソンのギターも無事だ。
鞄の中、キャビネットの中、押し入れの中、挙げ句は冷蔵庫の中まで
ぼくはすべてをくまなく調べてみたが、それらは不自然なまでに
ぼくが部屋を出て行った時のままの形でそこにあり、ただただ数百枚のCDだけが、
仲の良かった奥さんがある日突然蒸発してしまったように、虚しく姿を消していた。

そしてふと、まだ確かめていない場所がトイレだ、ということに気付くと、
空き巣犯の犯人がまだこの部屋の中にいてトイレに潜んでいたら、、、
と考えたぼくはひどく身震いがして、キッチンにある唯一の調理道具である
雪平鍋を武器替わりとして手に握りしめると、
それを大きく振りかざしたままの格好でトイレの扉を勢いよく開けた。

「あーーっ!」
「どうしたの!」
彼女が大きな声でぼくに声を掛けた。
「つ、使われてる、、、」
「えぇーっ!」

何とそこには犯人がしたと思われる流し忘れたウ○コが
どっさりと便器に鎮座していたのだ!
、、、とでも書けば恰好のネタになったのだろうが、幸いなことにさすがにそれはなかった。
それならなぜトイレを利用されたと分かったのか。
ぼくはトイレを出る際、スリッパをきちんと入口に向けて脱ぐのだ。
それが見事逆になっている。
このスリッパの脱ぎ方はオレじゃない、、、
マジか、、、人ん家に盗みに入っていながら何だその余裕、、、
どれだけ常習犯の野郎なんだ、、、

猛烈な怒りと恐怖の入り混ざった感情を抱きながらも、
盗まれたモノが大量のCDとトイレの水だけだった、
ということをこの目で確認して少しだけ安心したものの、
その盗まれたCDの中には友達のモーリーから借りていて
すでに廃盤になっているスライやブライアンウィルソンのCDが含まれていて、
それを友だちのモーリーがひどく大事にしていたことを充分過ぎるほど知っていたので、
ぼくはまずモーリーに電話をして事情を話した後、本当に申し訳ない、と詫びた。

けれどもモーリーは明け方のそんな迷惑な電話にも関わらず、
そんなことはどうでもいいからすぐに警察に連絡しなきゃ!と言って、
少なからず動揺しているぼくを優しく励ましてくれた。
しかしその日はアルバイトの為に数時間後にはもう起きなければならなかったし、
今から警察を呼んだとしても何やかんやと朝まで掛かるに違いない、と考えたぼくは、
まずこの酔いと動揺している気持ちを落ち着かせるためにもとりあえず寝よう、
と考えて、盗まれたCDの行方に気をもみつつも、
傍で心配してくれている彼女をなぜかぼくがなだめながら、
薄い布団の中へ一緒にもぐり込んだのだった。

あくる日、病的なまでに朝に弱いぼくが朝の七時にはきちんと起きて、
夕べのことは夢だったかもしれない、ともう一度CDラックの引き出しを開けてみたが、
やはりそこにはCDではなくただの絶望だけがぎっしりと詰まっていて、
その現実は朝っぱらからぼくをひどく暗い気持ちにさせた。
その日仕事が休みだという彼女には、部屋にはいたいだけいていいけど、
カギだけはよろしく、と伝え、彼女を部屋に残してぼくはアルバイトへと向かった。
その日の午前中までにアルバイト先から世田谷警察に連絡を済ませ、
至急鑑識の人間と刑事を向かわせます、と迅速な処置を図ってはくれたのだが、
今はバイト中で、夕方でないとアパートへは戻れない、と伝えると、
それでは夕方にそちらのアパートへ向かわせます、
帰宅は何時頃になるでしょうか、と尋ねられたので、
だいたい十八時頃です、と答えると、
十八時ですね、分かりました、と警察の人は言って電話を切った。

とりあえず午前中に警察には連絡は済ませたこともあり一息つけたぼくは、
時間的にまだぼくの部屋にいると思われたその女の子には一応連絡しておこう、と思い、
警察には連絡した、鑑識が来てくれるって、だから心配無用、とのメールを送り、
アルバイト先の友人たちの協力もあって十七時キッチリにバイトを終えると、
そそくさと身支度を済ませて十八時少し前には駒沢の駅へと到着した。
駅に着いて改札付近まで歩いてゆくと、誰かがぼくに向かってニコニコと笑いながら手を振っている。
夕べの女の子だ。

「あれぇ、なんで?どうしたの?」
ぼくは驚いて彼女に尋ねる。
「なんか心配で、、、それに警察の人が来るんだったら私も証人として立ち会ったほうがいいのかな、と思って」
彼女はぼくに微笑みを寄せながらそう言った。
「確かに、、、確かに証人はいてくれたほうがいいかもしれない、そっか、ありがとう」
ぼくは彼女のそんな気持ちに感謝して軽く礼を述べると、
そんなひどいことする犯人なんてきっと見つかるよ!絶対大丈夫!
と、隣でぼくを励まし続ける彼女を時折見やりながらアパートへの道を歩いたのだった。

そんな我々がアパートに着いたのは十八時少しを過ぎていたが、
警察の人はまだアパートへは到着していなかったようで、
まだ季節は三月の早春とあって肌寒かったこともあり、
ボロアパートといえども、外にいるよりはマシな暖かい部屋で待つことにした。
そしてぼくは彼女を後ろにしながら鍵を開けてアパートの扉を開ける。

“カチャ…”

するとどうだ、本来ならば、朝方ぼくが部屋を出た時のままの光景が
忌々しく目の前に広がっていなければならないのに、
明らかに部屋の様子が変なのだ。
すると同時に、ぼくのすぐ後ろから彼女のはしゃいだ声が聞こえてきた。

「部屋がものすごく散らかってたから掃除しておいたよ!拭き掃除まで頑張っちゃった!」

ぼくは自分の目と耳を疑う。
これはウソだ、なんか悪い夢でも見てるんだ、と。
しかもなんだ、その、私いいことしてあげました!みたいに弾んだ言い方は!

「掃除!? 掃除したの?部屋を!」
「うん!」

つい先ほどまで感じていた彼女に対しての感謝の気持ちは、
アパートのすぐ傍を走る駒沢公園通りの向こう側へまで
ものすごいスピードで飛び越えてゆき、
傍でニコニコと笑う彼女を見て、この女はバカだろうか、と思った。
空き巣に入られて少しでも証拠や状況を現存しなければならない部屋を掃除した!?
しかも掃除機をかけて、ご丁寧に拭き掃除までしただって!?
なんだこの部屋!ものすんごくキレイじゃねーか!

「うん!じゃないだろ、、、これから警察が来るんだよ?これから鑑識が来てさぁ調べますよ、という前に証拠を消しちゃってどうするの!」

怒りとも呆れともつかない口調でぼくがそう言うと、
そこで初めて自分がしてしまった愚かな行為に気付いたのか、
彼女はハッとした表情をぼくに向けた後で、ごめんなさい、と小さな声で謝った。

「あーもう、、、」

ぼくはどこまでも沈みゆくかのような大きなため息を一つつくと、
当てどころを失った気持ちを懸命に抑えようと煙草に火をつけた。
ぼくのモヤモヤを象徴するように煙草の煙が部屋中に充満し、
ぼくの後ろでは彼女が泣きそうな顔で立ち尽くす。
なんだそのマリアナ海溝よりも深そうな落胆っぷりは。

泣きたいのはオレのほうなのにー!

こういう時、その相手との距離感が現れるな、あぁ、しくじった、とぼくは思った。
注意すべき時に言う。
つまり、正直な気持ちを口にして相応しき場面だからこそ、言いたいことはきちんと言う。

「おいおいコラーっ!何してくれとんじゃーっ!」

例えその時多少言葉が汚かったり悪くとも、ただそれだけ言ってしまえば、
とりあえず感情の収まりどころは保てるのに、
ぼくは時々、そのタイミングをみすみす逃してしまうことがある。

これを我慢強いと言ってしまえば聞こえはいいが、
実際にはタイミングを逃してしまったせいで今さら言えなくなった、
と言ったほうが正しくて、これはぼくが自覚している数ある欠点の中の一つでもある。
そんな自らの欠点のせいで、ぼくはこの日丸一日振り回されることになった。

そう思うと、言いたいことを気のままに言い合えるというのは、
一見相手に対しての思いやりに少し欠けていそうで、
実は最大の相性の良さを表しているのではないだろうか。

その後しばらくして、テレビドラマや映画などでよく見るぼくが知る限りの刑事像とは
だいぶかけ離れた感じの年配の刑事さんと鑑識のおじさんがやってきて、
現場検証を始める前に幾つかの質疑応答があり、
何を盗られたのか、それはどこにあったのか、
その時の状況を出来るだけ詳しく説明してください、
と刑事さんが言って一枚の紙をぼくに渡すと、
盗まれたと思われるモノを箇条書きで構わないので、
出来るだけ忠実に書いてください、と言ってぼくにペンを手渡した。

「忠実にとはいっても盗まれたのはCDだけです」
ぼくは手渡されたペンを持ったまま刑事さんに言った。
「何のCDが盗まれたかは分かりますか?」
「えー!それはちょっと分からないですね、まだちゃんと確かめてもないし、だってすごい枚数ですよ、盗まれたの」

それでも刑事さんは、思い付く限りのCDのタイトルを書いてください、と言うので、
ぼくは仕方がなく生き残っているCDを確かめながら、
スライ&ファミリーにブライアンウィルソンにジャニスジョプリン、
ザ・フーのトミーも無い、ビートルズも赤盤を残して全部、
オールマンブラザーズもジムクロウチもニールヤングも、
ストーンズもトムウェイツも、クリムゾンもフロイドも、
フェイセズもブルースブレイカーズも、浜省も斉藤和義も、
森高も中山美穂もみんなみんな盗まれました、
とまで書くと、ぼくはほとほと疲れてペンを置いた。

その後、刑事さんの質問一つ一つに丁寧に答えていたのだが、
部屋の中で所在なさそうに立っているだけの彼女を見た刑事さんが、

「あ、こちらは彼女さんですか?」
とぼくに尋ねた。
「あ、いえ、友だちです、ただ夕べ一緒にいて、、、」
「あぁそうですか、もしかしたら後で署名を頂くことになるかもしれませんが、その時はご協力をよろしくお願いします」
刑事さんは軽やかな口調で彼女にそう言うと、
彼女は、分かりました、協力します、と言ってまたニコニコと微笑んだ。

ちょっと待て、協力どころか、あなたすでに足引っ張ってるでしょうが!

そして刑事さんは部屋をグルッと見渡しながら、
部屋の状態は被害に遭われた時のままですよね?
とぼくに尋ねてきたので、
思わず返答に困ったぼくは、傍にいる彼女をチラリと見やった後で、

「いや、、、ちょっと、ちょっと違いますね」
と腕を組み直しながら伏し目がちに答えた。
「違う!? 違うというと?」
刑事さんは不思議そうな表情を浮かべながらぼくに言った。

ほら見たことか!やっぱり話がややこしくなった。
掃除しちゃったんです、なんて、ぼくは正直言いたくない。
けれどもぼくが再び彼女のほうを軽く見やってみると
彼女はすべての事の運びをぼくに任せているようで、
どうやら助け舟の一隻も出航しそうな気配すらなかったので、ぼくは仕方なく、
「いやぁ、あまりに散らかってたんでちょっとだけ掃除しちゃったんですよね」
と、申し訳ない素振りをしながら刑事さんに言った。

「えぇっ!掃除ですか!?掃除をしたんですか!?それじゃ被害に遭われた時と今の部屋の状況は違うと?」
「はい、、、」
「掃除をした!なんでまたぁ!うーん!それは困ったなぁ、、、」

刑事さんも鑑識のおじさんも、これは驚いた、といった表情でぼくを見つめて、
ぼくの趣味で天井に取り付けてある蚊帳を珍しそうに眺めると、
そのしわだらけの指でその蚊帳をつつきながら、
「弱ったなー、初めてですよ、空き巣に入られた部屋を掃除する人なんて!」
と、本当に呆れた、といった様子でぼくに言った。
刑事さん、違うんです、聞いてください、弱っているのは僕のほうなんです、
そんな言葉が喉元まで出掛かったが、そんなことを言ったところで
ちっとも意味がないことなど分かっていたので、
ぼくはそんな言葉を喉の奥へと押し込んだ後で、
「あー、すいません、、、」
と、頭を軽く下げながら謝った。
なんで被害者のオレが刑事に謝ってるんだ、と行き場のない虚しさがぼくを包む。

すると刑事さんは本当に弱ったような表情を浮かべながら、
好奇なモノでも眺めるかのように再び部屋をぐるりと見渡すと、
「それはどの辺りを掃除したんでしょう?」
とぼくに尋ねてきたので、さて、これはどうしたものか、と考えた。
どの辺りも何も、、、オレに尋ねないでくれ、オレは何も知らないんだ、、、
しかもなんだ、年配刑事特有の口調のせいもあるのだろうが、
なんだこの、逆にオレが尋問されているかのような気まずい気持ちは。

あぁこんなことなら始めから、掃除しました、
などと言わなければよかったのだ、とぼくは思った。
けれどもぼくは、長い年月を掛けて少しずつ集めてきた
大量のCDを一夜にして盗まれた被害者なのだ。
トイレの水はくれてやる、むしろよく流してくれた、と思う。
ただ、側近の女の子に部屋の証拠まで盗まれてしまったのは想定外だった。
けれどもやはり真実を話して、掃除をしたならしたで仕方がないと、
それを踏まえた上での現場検証を刑事さんたちにはしてもらわなければ、と考えた。
しかし掃除機も充分ひどいが、まさか拭き掃除までしました、
とはあまりにもバカげ過ぎてさすがに言えない雰囲気だ。

ぼくは、刑事さんの後ろで何を語るわけでもなく相変わらずただ立ち続け、
ぼくを励ますつもりなのか、時おりぼくに見せるそのニコニコを再び目にして、
空き巣に入られたことを知った時の怒りのベクトルが、
すでにそのニコニコに向けられていることを静かに知り、
おい、、、何なんだそのニコニコは、、、
協力したいと言いながらいつまでそこにボケッと突っ立っとるんじゃコラーっ!
と、ぼくは心の中で彼女のおしりを激しく蹴飛ばしながら、
これはDVじゃない、これはDVじゃない、と必死に自分を正当化し続けた。

「あぁ、まぁ、布団を畳んで、テーブルの上を片付けて、畳の上を掃除機でちょっと、、、ね?」
ぼくはまるで彼女と一緒に掃除しました、といった風に
彼女の目を見て確認を取るようにそう言うと、
ようやく私の出番がきたわ!のごとく、彼女はうんうん!と頷きながら同調した。

「掃除機を!!」
「はい、、、」
「なんでまたぁ!」

刑事さんは、つい数十分前にぼくがそのニコニコ彼女に見せた反応とまったく同じ反応を示した後で、やはりぼくとまったく同じ表情を浮かべながら深いため息を一つついた。
「あぁ〜、、、」
「あぁ、、すいません、、、」
なんでオレが彼女をかばってるんだ、と、やりきれない虚しさが体を包む。

その後、サスペンスドラマの中での殺人現場のシーンで
よく目にしていたような鑑識の場面が目の前で繰り広げられると、
ぼくと彼女はすることがすっかりなくなって、
鑑識のおじさんが指紋採取のためにパタパタとふりつける
銀色のパウダーが舞う様を静かに眺めた。

「一応終わりましたんで、私どもは帰ります。何か有力な情報が入り次第鈴木さんにはすぐ連絡しますので、簡単でいいのでこちらのほうに連絡先と簡単な状況説明、それと署名をお願いします」
と、コピーにコピーを重ねたような粗悪な作りの書類を渡されて、
分かりました、とぼくはその指示に素直に従った。
「あ、出来れば彼女さんのほうもよろしくお願いします」
刑事さんはそう言って彼女に書類を渡すと、
彼女は、ハイ、と言って、ぼくと同じようにその書類に署名を書き始めた。

その時、ぼくは見てしまったのだ。
どこをどうすればそんな字が書けるのだ、
と本気で疑うほど、劣悪極まりない字で綴られた文字の羅列を。
ちょっと待って、、、それは指でも怪我しているのとは違うよね、、、
ぼくは注意深く彼女の指先を見つめて確めてみたが、
字がきちんと書けなくなるほどの怪我を指先に負っている様子は見受けられず、
それでいて丁寧に、ゆっくりと、書面に自分の名を書き綴っている彼女を見て、
ぼくは見てはいけないモノを見てしまったような気がして、思わず目をそらした。

それはどう好意的に見ようと努力しても個性的な字だとは言い難く、
それを個性的というには、あまりにも壊滅的過ぎた。
ぼくはまるで観たくもないひどいオカルト映画の惨殺シーンを
映画予告で不意に観せられたような気分になり、
ぼくの頭の中は鳴門海峡の渦潮のようにグルグルと回り始めた。

刑事さんと鑑識の人が帰ってしまって静けさを取り戻した部屋で、
彼女はぼくに向かって、大変だったね、おつかれさま、とねぎらったが、
夕べから続いたこのゴタゴタのせいなのか、
彼女のあらゆる偶発的なサプライズのせいなのか、
ドドッと疲れが出て椅子に座り、煙草を取り出して口に運ぼうとしたぼくに向けて
彼女は再び二コニコと微笑んだかと思うと、

「ねぇ聞いた?彼女さん、だって。なんか嬉しくなっちゃった」
と彼女は言った。

「悪いけど、帰ってくれる?」

そう言ってしまえばよかったのだろうが、その一言が言えなかったがために、
ぼくは二日続けて彼女と飯を食うハメになった。
彼女の行為の根本は、ぼくに対してのその親切心からきているのだ、と
人がよすぎるほどに考えを巡らせてしまったからだった。
しかし夕べ彼女と呑んでいた時は、酔った勢いも手伝って、
愛嬌もあってかわいい子だなとは思っていたが、
その掃除事件と忌々しい字を見てしまった後では
そんな感情も見事にすっかり消えていて、
ぼくはたぶん、その日の夜は彼女の目を見ていない。

その後も彼女とは何度か酒を呑みに行く機会もあったが、
どうもその会話の内容にも物事の捉え方にも、
おまけに傍で口ずさむその歌にも馴染めることが出来なくなって、
これは相性の問題かとも考えたが、逢うたびにエスカレートする
ぼくに対してのそのニコニコにまで無性に腹が立ってきたぼくに残っていたモノは、
もはや負のスパイラルのみで、
彼女の携帯電話に取り付けられてある巨大な犬のストラップ、
頭にのせたサングラス、必要以上にバックがでかくて荷物が多い、など、
見るモノすべてに対して腹が立ってきたぼくは、
それが男らしくなく、実にずるい方法と知りながら、
その後音信不通という手段に出て、彼女との連絡を一方的に断った。

字が特別に綺麗である必要なんてない。
ぼくだって人のことは決して言えない字を書いている。
けれども何にでも限度ってモノがあるのだ。
ぼくはそれ以来、字の汚い女と、
旅行に行くわけでもないのにやたら荷物の多い女に遭遇すると、
とても不幸な気持ちになって、あの忌々しい一日を思い出す。
字が汚かったことだけが理由ではないが、決して悪い子なんかではなかったが、
何かにつけて巡り合わせが悪過ぎた。
そして今からでも遅くはない。習字とまでは言わないが、
せめて彼女にはボールペン字でも習っていただいて、
自分の名前くらいはしっかり書けるようになってもらいたいと、
余計なお世話ながら、今さらながら切に願う。

それから、微笑みは必ずしも人に幸福をもたらすわけではない。
もしかしたらすべての元凶は、彼女の字が汚かった云々より、
あの、時と場所をわきまえないニコニコにあったのかも分からないからだ。

どちらにせよ、とんだトラウマである。

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