アルバムとは何か

  • 2014.11.12 Wednesday
  • 12:11


夕べは大塚ハーツで、ギター近沢くん、ベースうみんちゅ、ドラム泰平くんの四人で奏でるナオトバンドのライブでした。みんなそれぞれの音楽活動の場があるので、なかなかリハスタにも入れずにぶっつけ本番になってしまうこともあるけれど、みんな個人技が優れているので、最近はライブ中に足りないモノを見つけたらそれを補い合うようなライブになっていると感じている。
しかしこの対応力は、個人技に加えて僕の曲をよく理解してくれているからこそで、だから近沢くんもうみんちゅも泰平くんも、サポートメンバーと呼ぶには何だか相応しくないのだけど、ライブ前、SEが流れる舞台袖でスタンバイしながら、そんな間柄というか信頼を感じている三人と握手をしてステージに送り出した後、僕はいつも深呼吸ひとつしてから遅れてステージにあがるようにしている。
ライブ前のスイッチの入れどころは幾つかあるのだけれど、その深呼吸をしないと始まらないし、そこが最後のスイッチを入れる場所だからだ。

しかしそれにしても、ライブの内容に関しては今回は触れないとして、ライブ中に指がつる、なんて初めてのことで、おかげで一番大事な曲の一番大事な場面で新人バンドでも侵さないようなあり得ないミスをして、ライブ後はかなりヘコむことになった。
だが一夜明けてこれは鍛え直さなきゃいかんぞ、と気持ちを新たにしているところである。
昨日観てくれたみんな、そしてメンバーのみんな、本当にどうもありがとう。

あ、そして昨日は同じ大塚でライブだったハロトレことハロー青空トレインのミキティとえりちゃんがわざわざハーツへ会いに来てくれた。
一年ぶりくらいの再会になるけれど、相変わらず小さくて可愛い二人だったなぁ!
彼女らの新しいアルバムは今日発売のようで、ひと足お先に頂いてきましたよ!
これからも変わらず頑張れハロトレ!



さて、つい昨日アップしたワンタイで、この二年間の野球選手としての僕の打率が一割にも満たないヘボ打者だった、ということが判明したので、一厘でも打率をあげるべく、今日もはよからバットを握り、黙々と素振りを続けるつもりでiPhoneを握っております。

朝出掛ける前に森山直太郎の「声」と中島みゆきの「時代」を部屋のステレオのボリュームを上げて聴いていたら、すっかり聴き入って出発する予定の時間を少々過ぎてしまい、あぁバスに間に合わない!とハネてどうしようもなくなった前髪を正しながら家を飛び出したわけだが、停留所へ着いてみるとバスはまだ来ていないようでホッと一安心。
しかし出掛ける前の曲として、直太郎と中島みゆきは実に相応しくない選曲だった。

それにしても僕はやっぱり歌モノが大好きのようで、良い歌、良い歌詞、良い声、このどれか一つでもすっぽりと当てはまると心が立ち止まってしまう。(まぁ当たり前のことだが)部屋でFMをよく流している僕としては、知っている曲、知らない曲関係なく、ついボリュームを上げてしまった曲、というのは琴線に触れた証拠で、そうなるとその曲が終わるまで周りの声があまり聴こえなくなる。そしてそのボリュームを上げたくなる曲の殆どはやっぱり歌モノの類で、踊り出したくなるようなアッパー系の曲やダンスチューンにはあまりそういう反応は示さない。
でも歌い出しから「君とセックスをした」みたいにインパクトある歌詞であれば、きっとヒップホップな曲でもボリュームを上げるだろう。
でも一昔前に、一生一緒にいてくれや、との歌い出しから延々と彼女にプロポーズの言葉を並べたような歌が大ヒットしたみたいだが、あれはまったく反応を示さないどころか、そこでFMのスイッチを切ってCDに切り替えたくらいである。

理由はひとつ。ラブソングは好き。君を愛している、と歌うのもOK。(個人的には「まるい月」を作った時に、初めて君を愛してる、というフレーズを書いて、いざ書いてみて、愛を口にするのはいいことだ、と思い直してそれを機に考え方が少々変わった)けれども愛にせよ自由にせよ正義にせよ、それを延々と多用されると一気に萎える。
あの歌に対する嫌悪感は、本人は愛を語っているつもりかもしれないが、ただへりくだった印象しか抱けなかったことにある。
というより、世の中そんな歌が多過ぎて、食べてもいないのにゲップが出る始末だ。

その先を見てみたいかどうか、という基準は、曲なら始めの二行、小説なら始めの五ページ、映画なら始めの十五分、といった感じで始めに集約されている、と考える。
そこに引力が無いとその後の展開に興味を抱くことにエネルギーを必要とするからだ。
だから掴みはOK!という言葉は本当だと思うし、男女の関係に於ける一目惚れ、なんていうのもまさにその部類だろう。周りに多くの人がいてもその好きな相手の声を聴きたくて耳は感度を上げようとするし、目は広角レンズから200mmレンズくらいの望遠レンズに瞬時に切り替わる。
それが恋のはじまりを知らせるサインであるように、曲にも声にも歌詞にも一耳惚れ、というのがあり、、、

あぁ、やっとここで直太郎の「声」と中島みゆきの「時代」に話が戻ってこれた、よかったよかった。
そんなわけで、そんな一耳惚れ曲の直太郎と中島みゆきを朝から聴いて過ごしたおかげで心がすっかり浄化されたような気分なのだが、やっぱりシングルだけではなくてアルバムを通して聴きたくなるよね。
今の忙しい世の中、電車の中でもサクッと観れるYouTube等は本当に便利でたくさんの恩恵にあやかれてはいるけれど、感覚的にはシングルを聴いている感じに近くて、やっぱりどうしても物足りなくなる。
以前、写真じゃあるまいし、どうして音楽アルバムのことを「アルバム」というのだろう、と考えたことがあるのだけど、まさに写真と同じで、一枚の良い写真を見ているだけでも恍惚とした気持ちになったり飾ってみたくもなるけれど、それが十枚から十二枚の組写真のようにまとまっていたら、あぁあの写真の景色を違う角度で撮ったヤツだ、とか、あ、こんな路地裏もあるんだ、とか、あ、ネコがいっぱいいる、とか、一枚の写真では伝えきれなかった景色や雰囲気がひとつの息吹となる。
お気に入りの一枚の写真でも充分。実際それを胸に忍ばせて特攻隊も海に散った。
スマートフォンの待受画面に愛息や愛娘の最上の写真をセットしている人もたくさんいるだろう。

だけど部屋の掃除などをしている際に懐かしい写真やアルバムが出てきて、その一枚を手にして眺めた時に、手を休めてソファーに身を沈め、時間をかけて開きたくなる。
それはまさにいつまでも大事に置いておきたいもので、それをアルバムといわずして何と言おう。
誰かに一枚の写真を見せて、ふーん、程度の反応で終わってしまうこともあるだろう。
でも中にはその一枚の写真を見せて、もっと他のも見たい!と言ってくれる人もきっといる。
そういう時に、趣のある表紙のアルバムをそっと差し出されたら、時はゆっくりと流れて身体の中に入ってくるだろう。
あぁ、だから音楽アルバムはそういう意味でアルバムという名称がついたのだろうな、と勝手に解釈したものだ。

でも一枚の写真でも今日を頑張れる。
今どき胸に一葉の写真を胸に忍ばせているような人はいないと思うけど、胸にスマートフォンを忍ばせて聴くお気に入りの一曲でも今日一日を頑張れる。
だから今も直太郎の「声」をiPhoneで聴きながらこれを書いている。

でも今日は、部屋へ戻ったらすぐにアルバムを聴こう。
あの、ゆっくりとした時の流れが身体にスッと入ってくる、あの時間を取り戻すのだ。
そして自分も、いつか誰かにとってのそんなアルバムを残したい、いや、必ず。
ビールと共に、ワンダフル。

calendar

S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
<< August 2019 >>

鈴木ナオト twitter

facebook

selected entries

categories

archives

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM