赤いパンツと言葉の火種

  • 2015.04.15 Wednesday
  • 19:50


赤いパンツを穿いている。一般的な男子がいったいどれくらいパンツを所有しているのかは知らないが、僕はざっと考える限り十五枚程度持っていて、メーカーは殆どがBodyWild。
その中で赤のパンツは三枚。お気に入りの下着があるのはきっと女性に限られた話ではなく、男にだってきっとある。
ということでこれらの赤いパンツ三枚はとても気に入っている、いわば勝負パンツだ。
しかし久々のブログなのにいきなり赤いパンツを穿いている、とは何事か。
単刀直入に言おう、僕は大事な日やライブの日は決まって赤いパンツを穿いてきた、という話である。

これはいわば自分なりの験担ぎみたいモノで、かつての常勝ヤクルトスワローズを率いていた名将野村監督が、チームが勝ち続けている間はパンツを穿き替えない、という験担ぎをずっと遂行していたように、もはやこの僕の赤いパンツはルーティンワークのようになっているので、ライブを始めとした大事な日についうっかり赤以外のパンツを穿いてきてしまった、ということは一度だって、無い。

なぜ赤いパンツなのか、理由は二つ。
昔、アジア放浪をしていたバックパッカー時代にインドのカルカッタを訪れた際、まだ在命中であったマザーテレサのミサへ参加した時に、あなたは赤がとてもよく似合うから、なるべく赤いものを一つでも多く身に付けなさい、との有難い言葉を頂いて今もその進言を守り通していること、というのはウソで、赤いモノを身に付けると体にパワーが宿ると聞いて、ならばと試しに赤いパンツを穿いてライブをしてみたところ、納得のゆくパフォーマンスが出来たことに加えて、お客さんからの評判が格段に良かったことに気を良くして以降、験担ぎは験担ぎでしかなく、それが本質的に頼りになるモノなんかではないことを知りながらも赤いパンツを穿き続けている、まぁそんな程度である。
自分自身、そんなに信仰深い人間ではないし、ずっと実行している験担ぎのようなモノは何かと考えてみたが、どうやらこの赤いパンツくらいしか思いつかない。
ちなみにマザーテレサのミサに参加したくだりまでは本当のことである。

ブログではよほどこれといった特筆するモノが無い限り、ライブレポート的なことは書かないようにしているのだけど、相も変わらずそんな赤いパンツたちを穿いて最近出演させて頂いたライブは、どれもこれも内容がしっかりとした上に愛のあるイベントばかりで、少し前のことになるけれども池袋SUNNY SPOTで行われたもりきこJUNNYちゃん企画にしても、先日の西川口Heartsでの斉藤省悟のレコ発にしても吉祥寺Shuffleでのうみんちゅpresentsにしても、会場のステージ側とオーディエンス側に隔たりが無い、とても素晴らしい雰囲気の中でのライブイベントだった。

ライブはまず自分たちが楽しむこと。それはもちろんそう思っているし分かるのだけど、演者側とオーディエンスの温度感に大きな開きが見て取れるような、自分たちが楽しければそれでいいじゃん、みたいなライブに成り下がっているステージやイベントに遭遇することもまた事実で、そういうライブを観てしまった時の感覚は、観ようと思っていたテレビ番組がつまらない四時間特番SPで潰されてガッカリ、程度のモノとはいえ、失望といえば失望とも言えるし、憤慨と言えば憤慨とも言えるし、もっとマジメにやれ!と思いつつ、観たモノすべてが跳ね返ってきて、自分もそんなライブをしてしまっているのではないか、と自問自答を繰り返す機会を与えられる夜だったりする。

特に最近は、つんく♂の声帯切除のニュースを知って、つんく♂がそれを決断するまでの気持ちや公表に至るまでの気持ち、そしてこれから過ごしてゆく声の無い人生を想像すると、歌うたいの思い云々は当然のこととして、つんく♂の強さを讃えるよりも遥かに、その絶望的状況に打ち勝てる自信などまるで無いことに打ちひしがれた。
同じ病気で清志郎が選んだ道とつんく♂が選んだ道はまるで真逆で、生と死で対になっているように思われがちだけれど、だからこそ本気で生きようとした強い気持ちは対どころか同じだろうし、浅はかな気持ちで、もし俺だったらこっちだな、なんて、そんなことは安直に口には出来ない。

そんなことを考えていたら、ふと、もう久しく逢っていないある人の言葉が頭に浮かんだ。
そのある人とは、仙台に住む僕の伯母の息子、つまり僕の従兄で、僕より二つ年上の姉と同じ、僕の隠れた兄貴のような人のことだ。

今から二十年ほど前、その従兄の兄さんが仕事でしばらくセブ島へ行くことになり、ちょうど今東京へ出てきているので、セブ島へ行く前にお前に逢っておきたいと、当時西千葉で一人暮らしをしていた僕のところへ突然連絡があったのだが、いくら東京へ出てきているとはいえ、兄さんがいる場所が東京の何処なのかも分からなかったし、東京駅から総武快速で四十二分、電車賃にして当時六百二十円もかかる西千葉は、とてもフラリと寄れるような場所にある町ではないはずだった。
それでも言葉どおりに兄さんは西千葉まで遥々とやってくると、僕の部屋に着くなり、
「近くに旨い鮨屋はないか?」
と僕に訪ねた。

当時の僕はといえば、寿司といえば廻る寿司かロボット寿司しか食べたことがなかったし、そもそも当時の僕は貧乏を極めていて、ガス、電気はもちろんのこと、水道まで止められて近くの公園まで水を汲みに行っていたような有様で、それでも飼っていたネコにだけには愛をもって食べさせていたおかげで、僕はネコ缶の残りに醤油をかけて食べる、まさに本当の猫まんまを食することも珍しくなかった。

「鮨屋ですか?それは廻る寿司のこと?」
「バカ野郎、廻ってる所じゃちっとも落ち着いて話せないだろう。少しばかり遠くても構わないから鮨屋を探しに行こう 」

そう言って兄さんから背中をポンと叩かれた時、そういえば家のすぐ近くに鮨屋らしき店があったことを思い出しその旨を兄さんに伝えると、
「よし、そこ行こう」
と白い歯を見せながら嬉しそうに兄さんは笑った。
僕は、旨いのか不味いのかすらも判らないその鮨屋へと兄さんを案内することに大変な不安を抱きながら、案内する側でありながらも兄さんの少し後を歩いたものだ。

僕は生まれて初めて行った廻らない鮨屋で、まずカウンター席ではどのような順番で注文し、どのような振る舞いをすればスマートなのかを兄さんから学んだ。
しかし残念なことに、あれから二十年も経った今になっても、その紳士的でスマートな振る舞いを試せる機会は一度も訪れていない。
なぜなら今の回転寿司屋さんが昔に比べて遥かに旨過ぎる、ということもあるけれど、何より廻らない寿司屋へ誰かを連れていけるほど僕の懐はいっこうに潤わない、ということが理由として挙げられる。
ただ、その時に食べた寿司がいかに美味しかったかを僕は今でも思い出すことが出来るし、確か二人で三万円弱ほどだった手書きの勘定を見た兄さんが、
「何だよココ、安いな」
とニヤリとしながら軽快な手ぶりで財布から大枚を三枚取り出し、ポーンと気前良く払った姿を今もよく覚えている。

兄さんはその鮨屋で、酒を呑みながら久し振りに逢った僕に熱く語った。
「お前の夢は何だ?夢があるなら俺に話して聞かせろ」
夢ー。
どんな貧乏暮らしをしていようと、僕には僕でそれなりの夢があった。
けれどもそれはただの夢で、そこに向かって具体的に何か真剣に取り組んでいたワケではなかったし、夢であったニューヨークでの暮らしを終えて帰国したものの、たかだか二十歳そこらの若造が手にしたものなど薄っぺらい経験ばかりで、おまけに安っぽいアメリカンナイズと安っぽい偏屈な頭まで連れてきてしまった僕は、目標を失っているにも関わらず、周りの人々を斜めに見ては、ただ漠然とした気持ちのまま日雇いのアルバイトを続けてすでに二年が経っていた。
そんな僕にとって、目の前にある大きな仕事に対峙し、ギラギラとした目をこちらに向けて僕の次の言葉を待っている兄さんの前では、そんな自分がただただ情けなく恥ずかしいだけでしかなかった。

その時僕は思ったものだ。
本気じゃないから言葉が途切れるのだ、と。

「直人、ジェットコースターに乗るようなマネだけはするなよ」
「ジェットコースター…!?」
「そうだ、ジェットコースターだ。ジェットコースターってのはな、ハラハラドキドキとした刺激的な乗り物だが、下にはしっかりレールが付いてるんだ。そんなものに乗って、自分が刺激的な日々を歩んでいると勘違いしてはいけない。それが一番恐いんだ。俺はな直人、本気で頑張るってのは、俺はもう明日死ぬんじゃないか、と思うくらいヘトヘトになるまで頭と体を動かすことだと考えてる」

僕とたかだか二歳しか歳が違わない兄さんのその言葉は、頑張っても頑張ってもこの情けない暮らしから抜け出すことの出来ない自分に、良くも悪くも棒で強かに胸を突かれたような思いをもたらし、男の僕から見ても格好良いと思える、そうした兄さんの思考を創り出す火種に触れたような気がした。
確かに兄さんは、本当に明日死んでしまうのではないか、と周りが心配するほど趣味に仕事にと打ち込んでいたし、何よりも、その目やら口元から滲み出る精悍な顔つきが、それが決してハッタリなんかではないことを証明していた。

思えば、当時若かったばかりに人の親切や思いやりに気付けなかったことがたくさんあり、時を経た今でも、あぁ、あの人は何て自分に親切にしてくれていたのだろう、何ていいことを言ってくれていたのだろう、教えてくれていたのだろう、という思いや悔いの欠片が、いったいまだどこに隠れていたのか、今もなお、刹那の欠片と共に見つかることがある。
当時の自分はそれに気付けなかったというより、むしろ気付こうとしなかった。
そこにあるのに気付けない、というのは大変に残念なことだし、気付かせてくれた相手に対して、のちに感謝の気持ちを述べたくとも、今はもう自分の傍にいない、ということは、それ以上に残念で悔しい思いをいつまでも胸にこびりつかせる。
もういい歳した僕には、きちんと説明出来る個性がきっとあるだろう。
なぜならどんな人間でも個性の無い人間などいないと思っているからだ。
ただそれは始めから内部に100%あったものではなく、外部からもたらされた情報や記憶に経験を加味して出来上がったものであり、そもそも元はと言えば個人のモノではない。

魅力的で格好良い女性が、深夜の洒落たバーでラッキーストライクを吸っているのを見て、あぁ、やはり格好いい女性は吸う煙草も違うのだな、と周りが思ったとしても、実際には、その女性が以前惚れに惚れ込んで付き合っていた男が吸っていた煙草がラッキーストライクだったから、という理由だけのように、人の個性とは、外部からもたらされたそれぞれの「個」をどれだけ時間をかけて吸収して「私」に変えてゆくかという作業で、その結果として自分に対するそれぞれの他人の記憶が自分の個性なのであって、すぐに忘れてしまうような記憶をなぞる振る舞いや言動などはただの飾り。
そんなことはこのワンタイで幾度なく書いてきた。

では僕が兄さんからのそんな言葉を聞いて、それから一度でも俺は明日死ぬんじゃないか、と思うほど今日まで何かに取り組んだことがあるか、と言えば、残念ながらそんなことは一度だってない。
かといって、頑張ったことが無いのかと言われればそれも違う。
自分は頑張ったと思える到達点の基準が人より低いのか、実際に頑張り過ぎて死にでもしなければ分からないことなのかもしれないし、僕の場合、そもそも本当の意味でのチャレンジをしないままここまで来てしまったようにも思う。
あぁ、ここまで来たのか、という感慨を胸に抱くことがあるとすれば、それは決して「歩」ではなく「時」でしかないことで、もっと突き詰めて言えば、これから先、僕自身気が付いたらここにいた、というより、気が付いたら死んでいた、ということにもなり得る生き方への危機感。
チームが勝ち続けている以上パンツを穿き替えない、という験担ぎを続けていた野村監督も、弱小時代のタイガース再建という大任を担った阪神監督時代に至っては、三年連続最下位という不名誉な記録をもって、大任どころか退任に追いやられた。
きっと、様々な色のパンツを何度も穿き替えたことだろう。
赤いパンツは勝負パンツだと思い込んでいた僕も、赤いパンツには何の意味も無かったことにも気付いた。

だが今になって、どうしてそんな二十年も前の言葉たちを思い出したりしたのだろう。
きっとそれだけ賞味期限の長い、力のあった言葉だったのだろうし、何よりもその言葉を発した兄さん自身が、その言葉を越えるほどの逞しい生き様を傍で見せてくれたからに違いないのだと思う。
説得力のある大人になること。
それは僕が昔から決めていた目標だった。
でも実際はどうだ。それは他人が決めることだけれど、そうした火種を僕も手にしているのかどうかと考えると、どうもその自信が揺らいでくる。

まさか兄さんが、いつか僕がそれらの言葉を思い出すことを予測した上で、あれだけ熱っぽい口調で僕に何度も何度も語りかけてくれたとは思えないし、あれから二十年以上経った今になっても、僕が兄さんの熱っぽい言葉たちを覚えているとは思いもしないだろうが、僕は確かにあの熱を受け止めて、あの言葉の火種を今もしっかりと抱いている。

ジェットコースターに乗ることは今でも好きだ。
けれどもその刺激と興奮に乗り続けることはとっくにヤメた。
むしろジェットコースターを降りたおかげで色々な景色をのんびり楽しめるようになり、色々な人たちのおかげで、キラキラとしたステージにもずっと立たせてもらった。
それはまるで、豪華な装飾が施されたメリーゴーランドの中にいるようで、手を振って、手を振られ、どれに乗っても眩い場所に変わりはなかったけれど、回転木馬の如く、気付けばそれもまた、同じ所をグルグルと回っているだけだった。

今、兄さんはどこで何をしているだろうか。
とても逢いたい気持ちでいっぱいだ。
仮に僕が兄さんのいた場所へやっとたどり着ける瞬間が訪れたとしても、
兄さんはもうそこにはいなくて、さらにもっと遠くへ、もっと高い場所へと行っていて、
「おーい直人!やっと着いたか!遅いぞ!いつまでもそんなところで休んでるなよ、こっちへ来てみろ、お前の知らない面白いもんがもっとたくさんあるぞ!」
とでも言って、あの自信に満ちた得意げな顔でニヤリと笑うに違いない。

赤いパンツを穿くのはもうヤメだ。
もしまだ穿き続けるつもりなら、持っているパンツをすべて赤にしてしまえ!
それが何色のパンツだろうとどんな人生だろうと、俺は人の役に立ちたいのだ。

そんなことを考えながら街を歩いていたら、名残り桜が風に舞って、ヒラヒラと僕の肩に落ちていた。


2015.4.1 Acoustic trio Live in 柏DOMe

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