カッコいいを語る

  • 2013.02.22 Friday
  • 05:15

michitaro × tatso × naoto

先日十九日のVICKY presents 〜恵比寿で逢いましょう in 恵比寿club aimライブを観に来てくれた皆さま、どうもありがとう。
あんなに力の抜けたイベントにお金を頂いてしまっていいものかと、未だに恐縮しかりな気持ちだけれども、お客さんがこのイベントを観て楽しかった、と言ってくれているうちに、演者側もステップアップレベルアップしていかなきゃいけないなと、そう思っている次第であります。

だってねぇ、今回は共演者の道太郎の持ち歌である『分倍河原でサヨナラ』を歌わせてもらったり、MADMAN TAILSのフロントマンである達っちゃんこと佐藤達生とコラボしたり、確かに普段のライブではまず出来ないようなことをやらせてもらえるのが、この『〜逢いましょうシリーズ』の面白いところだとはいえ、あまりに自由過ぎて、お客さんのことを考えるとちょっと不安になるもの。
まぁそれぞれの出演者に持ち味があって、格好良さがあるのならそれはそれでいいじゃないか、とは思うのだが、はて、ではカッコいいというのはいったいどういうことで、いったい男がカッコ良くなる年齢というのは何歳からなんだろうと以前真剣に考えたことがあるのでそれをちょっと書いてみる。

みなぎる筋肉とあふれる自信と思春期の葛藤を抱える高校や大学時代。
男が一番カッコ良く見えるのはやはり若さみなぎる十代の頃なのではないか。
高校生の頃に酒と煙草と女を覚え始め、オレはもう何十人とヤッたぜ、えーっ!何十人!すっ、すごい!みたいな。
甘いキスの数より入れた穴の数が勝負なんだよ、みたいな。
(オレは何を言ってるんだ)

ダメだ。
全然ダメだ。
全然カッコ悪い。

待て、そもそもカッコイイって何なんだ。
まずはそこから考えなければならない。
カッコイイー。
それはつまりゆとり、余裕のある男。
それがつまりはカッコイイ。
自分の性欲、食欲、睡眠欲に正直すぎる十代に余裕があるか?
ノンノンノン、そんな余裕などあるワケがない。
男の十代二十代など、自分の欲望をコントロールできないただの妄想特急だ。

その点、男は三十も過ぎてくると欲望も一段落し、女性に対して余裕を持って接することが出来る。
ということは、定説通り男が最もカッコイイのは三十歳からなのか。

でも待て。
三十歳を過ぎたあたりから禿げてきたりする。
お腹もブヨブヨになったりする。
そのプロセスに於いて男は尋常ではないほどに抗おうとする。
アデランスやリーブ21のCMに異常な反応を示すのもこの頃からだ。
おいらは禿げてはいない。
おいらの額の生え際には「ハゲバロメーター」と自ら名付けたホクロがあるが、十年前に比べても二ミリ程度しか後退していない。
まぁたぶん、季節の変わり目に髪が生え変わっている程度のモノだろうし、その二ミリというのも髪が後退しているのではなく、強引かもしれないが、ホクロが前に移動していることだって充分考えられる。
それに中年太りの恐れも今のところはない。

とか言いながら今日も明日も今も夜な夜なビールを呑む。そして知らぬうちにベルトの穴はゆっくりと移動してゆき、やはり禿げという脅威の前に、禿げという言葉に過敏になる。
『ハーゲンダッツ』や『ハルマゲドン』という言葉に突然キレ始めて周囲を驚かすのもこの頃だ。

ダメだ。
やはり三十過ぎの男もカッコ悪い。

では四十代はどうか。
いや、四十代はダメだ。
四十代は一番ゆとりがあるように見えて、人生も折り返し地点を過ぎて実は内心自らの人生について大抵焦っているし、この頃にもなると世間一般にはそれなりにキャリアも重ねて中間管理職なり結果を出さなければいけない年齢でもあり、独身の者は結婚を焦り、既婚者は子供の教育問題で悩んだりして一番ストレスが掛かる年齢でもあり、統計的に自殺が多いのも四十代だ。

ダメだ。
四十代もカッコ悪い。

それではいっそ禿げ切って太り切った五十歳過ぎくらいの男はどうだろうか。
お金もあり、仕事も自分のペースで出来て子供も大きくなっている。
何をするにも落ち着いて出来るのが五十過ぎ。
つまり本当にゆとりがある。
カッコイイってことになる。
男が一番カッコ良く見えるのは五十過ぎてからだ。

でも待て。
一番の問題は、体が言うことをきかなくなってくる、いうことだ。
病気が友達だったり、何だか変な匂いのする薬は常に飲んでなければならない。
それは何だ?
その正体は仁丹なのか?
加齢臭だってきっと完成形になるだろう。
呑む時の会話にしても病気や仕事や愛人の話にしか花を咲かせられない。
愛人というくだりに関しては、ある種の人間には羨ましく思えるかもしれないが、そもそもそこに若い頃のような夢は無い。
それに、おじさんはガツガツしている若い男たちと違ってアノ時の前戯が長いから好き!とかほざいているバカな女がいるが、何も皆好き好んで前戯を長くしているワケじゃないんだアレは。
体が言うことをきかないってことは、なかなか勃たない、ってことで、それはただ単に勃つのを待っているだけなんだろう、たぶん。

それに加えて、ガン、成人病、脳卒中、そんな病の心配を常にしながら熟年離婚の脅威にも怯えなくてはいけない。
これは禿げよりよっぽど脅威なことかもしれない。
せっかく働いて貰った退職金を半分以上かみさんに持っていかれる。
それでなくとも厚生年金と国民年金の一元化とかがしばらくずっと騒がれていて、六十五歳になった時に年金が貰えるかどうかも怪しい。
いくらどんなに子供を可愛がろうと愛そうと、それで子供が自分の老後の面倒を見てくれるかどうかは別の問題だ。
ビクビクしながら生きなくてはいけない。
ビクビクはカッコ悪い。
そもそもおいらは退職金を貰えるような職に就いていない。
それに関してはもう手遅れだ。

じゃあ男がカッコ良くなるのは六十歳からなのか?
いや、それはダメだ。
それこそいくら何でも手遅れだ。
六十歳になるまでカッコ良くなれなかった男が六十歳からいきなりカッコ良くなんてなるはずがない。
カッコ良くなるならその前にとっくにカッコ良くなっているはずだ。

何だ、よく分からなくなってきたぞおい。

つまり、つまりどういうことだ。
おい、それはもしかしたらもしかして、
男は幾つになってもカッコ悪いってことになるのか?
男は幾つになってもカッコ悪いー。
確かに男はろくでもない生き物だが、ちょっと待てよ、カッコイイの定義もそうだが、そもそもカッコ悪いとは何なんだ?

『若いうちは苦労をしろ。お前はまだまだ何一つ成し遂げておらん!』
と、どこかの偉そうな人が渋く言えば、それはそれでカッコイイ。
だが、尊敬出来る部分が一つも見当たらないオヤジが偉そうにそんなことを言っていたら実にカッコ悪い。
今さら何を言っているんだ、お前になど言われたくないわ!という話になるし、そんなに生きていることが辛いのか、と逆に話を聞いてあげたくなる。
そもそも尊敬出来ない人間の前で自分が頑張る姿を見せることがまず無意味だ。

『オレは石油王になるぞ!』
突然とブチ上げて、中東あたりの国に移住する人間がいれば、それはそれでカッコいいかもしれない。
だが友達がそんなことを言っていたら悲しくなる。
その前にやることがあるだろう、という話になるし、それより先にニートを辞めろ、と促すかもしれない。

つまりカッコ悪いとカッコイイってのは紙一重だったりする。
カッコ悪いことを言ったりやったりしてもカッコ良く見える人たちというのは世の中にたくさん存在する。
ということはなんだ、それはつまり、
どうすればそれを許してもらえるのか、どうすればそれを愛してもらえるのか、という話になるのかもしれない。
禿げてもいいんじゃないだろうか。
禿げていることをいかに愛してもらえるか。
愛されるハゲというのは、愛されていないフサフサの髪よりカッコイイだろう。

つまり何だ。
許してもらえている男がカッコイイ、ということになる。
認めてもらえた男がカッコイイ、ということになる。
そうだ、男は幾つになってもカッコ悪い。
カッコ悪さは常に内包しているものなのだ。
大きい男は小さいモノも持っているのだ。
大は小を兼ねるとは言うではないか。
そしてそのカッコ悪さを許してもらい、愛してもらえるのなら、
それが幾つであろうとカッコイイということになる。
いい年こいて…とか、そんなことはどうでもいいってことになる。

そういうことにしようじゃないか。

多少の失敗や多少の不安な未来なんかに負けるな、大人は孤独だ。
けれども、なかなか会えない友人だって、きっと頑張れ、と言っている。
別れた彼女や彼だって、きっと頑張れ、と言っている。
地球の温暖化が進んで南太平洋に消えゆく島が現れようと、それで自分に何が出来るかって、大したことなど出来やしない。
ただ、地球温暖化も北朝鮮の核実験も大事な問題だが、今個人としてやるべきことは目の前に必ずあるはずだ。
それに今日だって地球はこうして無事に回っているのだ。

そう思うと頑張れる。
今夜だって、明日からだって、その先だって。

どんな仕事に就いていようとも、女の人だったらキレイになりたい、と願いながら涙ぐましい努力を日々重ねているように、男だって、カッコ良くなりたい、と思う気持ちだけは幾つになっても放棄してはいけない。
それは人が決めることだからその基準は曖昧多様だし、そもそもカッコいいとは何か、だなんて、考えたところでやっぱりよく分からない。
でも、何かに打ち込んで頑張っている姿は幾つになってもやっぱりカッコいい。
そしてそれを認めて受け入れる寛容さを持っている人もなんてカッコいい。

ということで結論にいこう。

カッコいいとは何か?
ということを闇雲に追求することよりも、カッコ悪いこととは何か?
という美意識さえ自分なりに持っていれば、例えカッコ良くはなれなくとも、最低限カッコ悪くなることは無いのではないか、と考える。

さぁ、君はどうだ。
ちょっと考えてみてくれ。
オレはもう眠い。

この続きは二十五日の新宿OREBAKO弾き語りのライブにて。
出番は一番最後。
せっかくの弾き語りなので、久々の懐かしい曲なども演りたいと思っている。


photo by kumiko

そんなワケで、曲も長いがブログも長い鈴木ナオトでした。

おやすみなさい、そしておはよう、ワンダフル。

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