野生の本能

  • 2015.02.01 Sunday
  • 11:10


深夜、よく立ち寄っているコンビニへ入ろうとすると、すぐ傍らから
「ニャァーっ!ニャァーっ!」
という鳴き声が聞こえてきたので辺りを探してみると、黒ネコがモノ欲しそうに鳴いていた。
近寄れば離れ、離れれば見つめられ、
けれどしゃがんで人差し指を向けてみると、
少しずつ近づいてきてクンクンと指の匂いを嗅ぎ、
その小さくザラついた舌で指先をペロッと舐めてきた。
そうかそうか、これはつまり、
「おいダンナ、なんか食いもんくれ」
ということなのだな、と思い、まぐろのネコ缶を買ってくれてやる。

しかし人間を警戒するのは彼らが身を守るための習性だから仕方がないとしても、
「おい、こっち見んなよ」(シャーッ!シャーッ!)
と必要以上にダンナを威嚇するのはいかがなものか。
誰がオマエにお給仕してやったと思ってるんだい?
ええいこのー!

ところで先日、とある友人から、
「ナオトさんも健康診断を受けたほうがいいですよ!」
と提言され、ふぅむ、健康診断ねぇ…と腕を組んで考える。
彼だけに留まらず、周りの人も口々に、
四十もとっくに過ぎたのだから一度人間ドッグくらい受けて診てもらいなさいとか、
市でやっている健康診断へ行ってきなさい、と僕をそそのかすのだが、
そもそも当の本人にその気がない。
こうして煙草を吸いビールを呑み、食べ物が美味しい、
という時点で、オレは充分に健康だ!という安直な結論に達しているのでその必要性を感じていないのだ。

会社の健康診断を受けたというその彼は、
いつも体が怠いだの、疲れただの、眠いだの、調子が悪いだのとブツブツ呟いては、
本当に気の毒なくらい疲れた表情を常に惜しみなく見せているような男なので、
「で、どこか悪いところはあった?」
と尋ねてみる。
すると彼は、
「それがどこも悪くない、健康そのものだ、って言われたんですよ」
と、どこか不服そうな面持ちで言った。

「あーっ!さてはおぬし、その診断結果に納得がいってないな!」
と僕は言った。
「納得いかないですよ、こんなに体が怠いのに。今だってすごく調子が悪いんですよ」
「バカを言うんじゃない!数値は嘘をつかない!それは病は気からの典型だぞ、安心しろ」

確かに、自分の具合が悪いな、熱っぽいな、などと感じた際に体温を測って、
体温計に『36.1℃』とか表示されると、おかしいなぁ、と
少し拍子抜けしたような気持ちになることはなくもないが、
その逆もまた然り、下手に体温を測って『38.7℃』とか表示されると、
うわわ!やっぱり熱がある!と心がうろたえてガックリくるので、
僕はなるべく体温計は使わず、
煙草やビールの味で自分の体調を測るように心掛けている節が存分にある。
でもたぶん、このような人は他にもたくさんいるだろう。

以前僕の知人にも、
「自分は鬱に掛かってると思うんですよ、間違いなく」
と勝手に思い込んでは、自らの行動力の無さや思考力の浅さ、
そして何より何事に対しても無気力なこの状態は、
鬱がすべての原因なんです、と自らの体たらくを擁護している人がいたが
(これがまたそういう人が多くいる)
病院へ行って診てもらい、どこも悪くありませんよ、と診断されると、
そんなはずはない!私は絶対に鬱なんだ!こんな病院は信用出来ない!
とメチャクチャなことを言い出して、その後幾つもの病院を転々と訪れる。
そして、あぁ、総合失調症ですね、お薬出しましょう、と診断を下されてやっと、
あぁ、やっぱり私は(僕は)鬱だったん だ、と彼らの心に安穏が訪れるのだ。
傍から見ている僕からすると、そんな気持ちで幾つもの病院を転々としているから
健康な心も萎えてきてしまうのではないか、と思うのだが、人の心は宇宙である。
星がキラキラと煌めく空間にもなれば、どこまでも闇が広がる世界にもなる。

「出ている数値を信用出来ない、っていうのは心の問題だ、心療内科へ行ってこい」
いつまでも診断結果表をヒラヒラと手に持ちながら、
不服そうソレをじっと睨み続けている彼に僕は言った。
「そんなもんを穴が空くほどいつまでも見ているからいけない。そういうヤツが胃に穴が空くんだ、よこせ、そんなもん捨ててやる!」
僕は彼が手にしている診断表をつまみあげようとすると、
彼は、や、やめてくださいよーっと言って体をねじらせ抵抗した。

この男が本当に心を病んでしまっているとしたらどうだろうか、と一瞬考える。
けれども幸いなことに僕にそれは分からないし、きっと彼にだって分からない。
世の中には本当に心を病んで闘っている人もいるし、
本当に体や心を壊して闘っている人や、
そのような人を身内に持って必死に支えている人も知っている。
ただ、知っている、というのは病状のことを指しているというよりも、
そこへ立ち向かってゆくその人々の姿勢について、と言った方が相応しいかもしれない。
それに比べて目の前にいるこの男の病に対するその気の持ちようというか、その脆弱で軟弱な姿勢は何だ。
そもそもお前は健康ではないか、と僕は再び彼に言った。

「よし分かった、それは捨てない。その代わり笑え!」
「わ、笑うんですか!!」
「そうだ!笑え!」
「こ、こうですか」
「違う!もっと口角を上に引き上げるように笑ってみろ!」
「こ、こうですか」
「うーん…何か違うんだけどまぁいーか。よし、その顔で女の子をデートにでも誘え、そしてあわよくばそのまま愛人にしてしまえ、元気になる」
「何をメチャクチャなこと言ってるんですか!そ、そんな時間も余裕もありませんよ」
「だからその脆弱な姿勢がいけないんだ!」
僕は再び彼が手にする診断表をつまみあげて今度こそ本当に捨てようとしたが、
彼は先ほどよりももっと大きく体をよじらせて、
だからやめてください、と言って必死に抵抗した。
そして我々は声を上げて大いに笑った。

それに比べたら我々人間と違って動物はなんて偉い。
食に貧しようと体に怪我を負おうと、手当ても受けずに自らの力で克服しようとする。
そう思うと、思わずネコ缶を買って与えてしまった自分の甘さに比べて、
「シャーッ!」と大きく口を開けてこちらを威嚇している目の前のネコは何てたくましいものか、と考えた。
残念ながら我々人間はもう野生には戻れないのかもしれないが、
きっと心の一部にはまだ野生の本能が眠っているはずで、
ただそれを発揮する場所が残されていないだけの話かもしれないのだ。

僕もいつか人間ドッグや健康診断を受ける日が来るのかもしれないが、
もうしばらく、もうしばらくは自分の体の状態を自分の感じ方で信じてみたい。
自分の中に眠る野生の本能を、ずっと眠らせたままにしておくのはあまりに惜しく、
ひどくもったいないのではないか、という気がしてならないからだ。

ちなみに彼は、妻子持ちである、ワンダフル。

ぼくが泣く

  • 2015.01.18 Sunday
  • 19:45


忘れられないことなんて
きっと誰もかれもが同じで
ぼくはひとりぼっちだなって
思うことも同じで

上手くいかないことなんて
きっと誰もかれもが同じで
誰かと自分を比べたり
してしまうことも同じで

目に見えているものだけが
すべてじゃないから
悲しい詩人になる前に
早く寝てしまおう

情熱を越えた向こうに
どんなものが待っているのかが
霞の奥に見えてきたから
少し怖くなったんだ

目に見えているものだけを
すべてと思えば
あっけなく壊れてしまうものばかり

あぁどうして迷ったりしてしまうのだろう
目の前の壊れそうなものたちに向けて
純粋を失くしたことに気付いて
カッコ悪く ぼくが泣く

情熱を越えた向こうは
草も花も何も無い場所で
ひとりじゃいれないと知ったから
君のことを考えた

目に見えているものだけが
すべてじゃないけど
悲しい嘘つきになる前に
君に逢いにゆこう
君に話してしまおう

すべて話してしまおう




【プチ解説】
二十代後半の頃、音楽を辞めてしまった先輩に音楽を辞めた理由を問うたところ「情熱が失くなった」と答えたのを聞いて、情熱とはイコール青春なんだな、と思ったことを今でもよく覚えている。
確かに情熱だけですべては越えられない。
青春はいつか終わる。いい歳こいて純粋な人間なんてむしろ気味が悪いだろう。
けれども情熱を失くすことは、老いに似た一つの恐怖でもある。
ただ、情熱を否定するある種の大人たちの「常識」で、いったいどれくらいのモノを越えられているんだろうと考えると、むしろ常識という靴では越えられないモノのほうが多いはずだ。
それについては他の曲で歌っているので、それはそのうちここにアップするとしても、
人に話すことで楽になる人もいれば苦しくなる人もいて、人に話さないことでストレスが溜まる人もいれば、人に話さないことで自らを守れる人もいる。

でもやっぱりそこに哀しさは含有される。
だからこそ、目に見えているものを信じたい。
そんな「君」が傍にいてくれることに感謝するのは、きっと自らをさらけ出した時なのだから。

女心も男心も

  • 2015.01.06 Tuesday
  • 22:51


皆さま、遅ればせながらとっくに新年明けてしまいましたね、おめでとうございます!
毎年毎年、個人的な感覚としては年の瀬気分や大晦日気分が薄れてゆく一方なのだけど、やっぱり大晦日の夜に除夜の鐘が遠くから聴こえてくると静かな気持ちになるし、年が明けてテレビで箱根駅伝を観ているとやっと正月気分がやってきて、昼からビールを呑み、グダグダっと横になり、知らないうちに寝てしまい、知らないうちにゴールしている、という毎年恒例の様相を晒していた。
でも僕がまだ小さかった頃の日本のお正月というのは本当に静かでのんびりとしていたもので、今みたいに24時間営業しているコンビニエンスストアなんて一つも無ければ、スーパーも町の商店街も工場もどこもかしこもお休みで、正月に賑わっているものといえば、葛飾の狭い空に所狭しとそよぐゲイラカイトと焚火の煙の向こう側で酒宴に興じる男たちくらいのもので、シンとした静かな町に羽根を突く羽子板の音があちこちでよく聞こえたものだ。

しかし昨今の日本の正月は元旦から早々賑やかだ。
昔N.Y.の八番街48stに住んでいた頃、アパートから歩いて五分もかからない場所にあった人で溢れかえるタイムズスクエアのカウントダウンで、ハッピーニューイヤー!と知らない外人からシャンパンをかけられ、それに応戦するように持っていたビールを顔にぶちまけ、ワケの分からない奇声を発しながらそいつと抱き合っていたその時間は確かに賑やかで楽しいものではあったけれど、あれから二十年の月日が流れて大人になった僕にとって、今はただただ心身穏やかに新年を迎えるほうが俄然性に合っている。

そんなことを言いつつも、去年の大晦日にはちゃっかりカウントダウンライブに出演した。
でも出番は二番手の十六時半。若手か!とつい突っ込みたくなるような時間帯だが、これは先述したように、心身共に元旦を穏やかに過ごしたい、と僕が要望したのをライブハウスが応えてくれた形であり、一年間お世話になったライブハウスに対しての挨拶のようなものなので、それはよしとする。
その日はナオトバンドの初期ギタリストであり、かれこれ今年で十九年の付き合いになる盟友カトヒロと久々に会い、久々に一緒にステージに立ち、帰りに歌舞伎町の居酒屋で一杯やった。
カトヒロは今やプロギタリストとして忙しい日々を送っている身なので、一緒にステージに立つことはなかなか難しいことなのだが、こうして一年の終わりの日に隣りでギターを弾いてくれたことが本当に嬉しかったし、久々に一緒に呑んだビールはやっぱり美味だった。しまいには店を出た後でカトヒロが今夜は奢ると言い出して散財させてしまったが、こういう時のカトヒロの気持ちもとてもよく分かるので、次は俺の番で、ということですっかりごちそうになってしまったな、ありがとう。


photo by hiromi

何年会わなくなったら親友と呼べなくなるのか。
昔、そんなことをよく考えた。
何ヶ月、何十ヶ月、何年ぶりかに会っても心の印象がまるで変わらないヤツもいるけど、人の心がずっと横ばいなまま、同じ場所で同じ状態で保たれていることなどまずあり得ない。
なぜなら、人は人の知らないところでこっそりと経験し、こっそりと成長しているからだ。
だからカトヒロに限らず、しばらく会えていない人たちなんて数えきれないほどいるけれど、仕事での失敗や成功や、家族や将来の展望や、事故や事件や、恋患いや失恋や、挫折や成就や、しばらく顔を合わせていない間にもそれぞれがそれぞれの変化の中で、些細なことから何から何まで色々なことが起きている。
そのおかげで心が成長していることもあれば、心がすっかり退廃し切っている時だってあるだろう。

大事なのは気付けることだよね。
だって気が付かなくなることは、やがて無関心で空っぽな関係を生むだけじゃない。
気付いてもらう為に特別な何かをするのではなく、自然なやりとりの中で気付いてくれた人を大事にする。
そして気付いてもらえたことに気付けること。
そして気付いたことに気付ける人。
その関係こそが心友、つまりソウルメイツ、ってヤツだよね。

「ナオトさん、女心って説明出来ますか?」
「女心!? えー!それを本当に説明出来る男って世の中にいるのかな、アインシュタインでも分からないんじゃないかい?」

昔、仲の良かった女のコと呑んでいる際、唐突にそう尋ねられてしばらく唸った後で僕はそう答えた。
彼女は僕の言葉を聞いて頷くと、思考を巡らすよう宙を見やったあとにこう言った。

「察する心を願う心…」
「…ん?察する心を、何?」
「あ、ちょっと違うかも、んー、えーっと、察っして欲しいと念じる心、かな!私が女として思う女心は!」
「察して欲しいと念じる心…あー、なるほどなぁ…でも大人になると気付いていても気付かないフリが上手くなってね、で、それがいつの間にかフリではなくてフツーになってしまうのよ」
「えー、それつまらなくないですかー」
「つまんないね、それに正直に泣いていた頃よりずっと胸も痛い、このみぞおちの辺りがね。でもたぶん、それは俺の器というか、俺の心が偏狭なだけなんだろうなぁ」
僕は彼女にそう言うと、でもそれちょっと分かります、と彼女は言って、クスっと笑った。

「でも面白いのはさ、そういうことを繰り返していると、他人が気付いてないフリをしていること自体に気付くようになったり、周りから気が利かないヤツだと思われているような人でも、よく観察してみるとそれは気が利かないんじゃなくて、気を利かして気が利かないフリをしているだけなのに、と気付いたりしてね。それは誤解を生むやり方だけど、相当高度なテクニックだよね」
と僕は言って、あははは!と我々は笑った。

でも彼女の言っていたことが本当なら、男心も女心を内包していることになる。
だって男女問わず誰だって、自分の本当の気持ちを察して欲しいと願う心は持っているし、日々に於いての悩みはそれが例え1%であったとしても重要な部分はそこに集約されていると思うからだ。
ファンタグレープを飲んでみろ、あれはれっきとしたグレープ味だが無果汁だ。
ファンタグレープの美味さに於いて重要なのは果汁何%にあるのではなく、他の何かに潜んでいるからに違いないのだ。

何年何十年と経っても心から消えない言葉がある。
それはただただ自分にとって都合のいい賛辞の言葉だけではなくて傷付いた言葉もあるかもしれない。
けれど残っている、ということはそこに言葉の火種が残っているからであって、それが成長の糧になるのか恨みの毒になるのかは分かる術も無いけれど、気付いているから再び火が灯るのであって、気付いていなければ始まらないことばかりなんだよね。

最近言われた言葉でずっと胸に残っていることをひとつ。

本来そこにいる人ではないー。

言った本人は何気なく言った言葉かもしれないけれど、この言葉だけで今年の上半期は乗り越えられる。
いや、ずっとかもしれないよ。
だから大晦日も正月も、心に大きな励みと栄養を与えてもらえたことを感謝しています、ありがとう。

2015年の今年、出逢いも大事にしたいけど、大切にしたいものはハッキリと見えています。
頑張ります、こんな俺だけど今年もどうぞよろしくお願いします、という気持ちを込めて。

2015年という新しい一年に、ワンダフル!

巨乳と漢字を考える

  • 2014.12.24 Wednesday
  • 23:22


巨乳。きっと男なら大多数の人間が魅力を感じずにはいられない響きだと思う。
少し前ならケータイで巨乳と打っても漢字変換ですぐに巨乳とは出てこなかったのに、自分のiPhoneで打ってみるとすぐに巨乳と漢字変換されたので、文献的にも公式な名称として認められてきたのかもしれない。
けれどももう少し掘り下げてみようと辞書で調べてみると、巨砲とか巨峰は出てくるが、やはり巨乳は出てこない。
残念だ。やはり文献的に認められたというのは早計過ぎた。
というか、性なるクリスマスの夜に何を調べてるんだ、という感じである。
あ、間違えた、聖なる夜だった。

それにしても漢字というのはきっと男が作ったものなんだろうな、と僕は思う。
例えば「好」
女と子供を合わせて“好き”と書く。
女子供は可愛い、大事にすべし、とも捉えられるし、単純に男が女子を好きだからそれをくっつけて“好き”としたとも考えられる。
それから「始」
女を台にして“始める”と書く。
これは何だ、ずいぶんと男尊女卑的で偉そうな漢字だ。
女を台に、、、これは考えようによってはかなりいやらしくも見えてくる。

いやらしいと言えば「狙う」という漢字もなかなかだ。
編と作りを切り離して眺めてみると、後ろからケモノを狙う“目”がかなり陰険でいやらしく見えてくる。
それから「娘」
良い女なら“娘”になるが、女もあまりに兼ねすぎれば“嫌”になる。
ひと文字ではないが「愛撫」もそうだ。
愛があれば手なんか使うな、という意味だろうこれは。え?違うのか?

しかし何だ、こうして書き並べてみると、何だか本当に漢字は男の都合のいいように作られたような気しかしてこないが、なるほど!と思わず唸るのは「母」という漢字である。
女に種を付けてそれを大事に囲ってあげると一転して“母”となる。
母という漢字をじっと見つめていると、身重な女がゆっくりと歩いている姿に見えてくるから不思議だ。
これは我ながら素晴らしい発見だと思う。

そこで巨乳、すなわちスーパーフルーツの話である。
前置きが長い割にはかなりどうでもいいことを書いているような気がしてきたのだが、ここまでくるともう止められないのでもう少し続けることにする。

今日、ある居酒屋で彼氏連れのものすごい巨乳の子がいて、これがまた結構可愛い女の子だったのだが、テーブルの高さと椅子の高さの関係上、向かい合う彼氏と前かがみになって話す際、そのスーパーフルーツがテーブルに乗っかっている姿が何ともエロく、それがもしその女の子が意図的にしていることなら、それは往年のプロレスラー、アブトーラ・ザ・ブッチャーが、試合開始早々パンツの中から長いフォークを取り出して、テリーファンクを痛めつけるくらい反則行為なんじゃないかと思った。
もし僕がレフリーなら、さっさとゴングを鳴らしてそのスーパーフルーツを取り上げるだろう。

傍にいた友人はその光景を見て、
「あれはクリスマスプレゼントですかね」
と呟いたが、そんなワケはないだろうバカやろう。
なんてナンセンスなことを言い出すんだ。
けれども今宵は何と言ってもクリスマスイヴ。
たかだが安居酒屋で、何が食べたい?なんて優しく聞いているそのヤサ男が、まるで一品料理のようにテーブルの上に乗っかっているその巨乳を見て、実際にどう感じていたかは分からないが、僕が本当に食べたいのはそのスーパーフルーツなんだよ、という心の声が確かに聞こえてくるようであった。

巨乳の女の子は、カシスオレンジを飲みながら美味しい!と笑う。
彼女の笑顔が嬉しいのか、彼女の巨乳が嬉しいのかは分からないが、彼氏はそれを見てとても嬉しそうだ。
そう、女が喜べば男は嬉しい。
女が喜ぶ、と書いて「嬉しい」とは、
まったく粋な漢字を考え付いたもんだと思う。

大人も子供もメリークリスマス。
巨乳にもメリークリスマス。

巨乳はやっぱり罪だと思う。
バカだな、男って。
ワンダフル。

ポケット

  • 2014.12.14 Sunday
  • 09:41


君がもし 知らず知らずに
大切な何かを置き忘れてきてしまっても
僕がそれをポケットに
気付かないふりしてしまっておいてあげるよ

寒い日には君の手を
僕のポケットに入れてあげて

駅までの狭い道を
手をつないで歩いてみる
大事なものは言葉じゃなく
このポケットの中にある

さりげなく握りしめて
君に返してあげれたらいい
そしていつもの月のような
笑顔が戻ればそれでいい

寒い日には君の手を
僕のポケットに入れてあげて

どこまでも続く道を
どんなふうに歩いて欲しい?
迷いながら 探しながら
そんな感じでもいいかな?

君の中の 僕の中の悲しい過去や綺麗事は
手の中で温めてすべて溶かしてしまえばいい

約束は一つでいい
約束は一度でいい
約束は求めなくたっていい
約束は叶えればいい




【プチ解説】
友人の結婚式というのはとても嬉しい。だけどその後の披露宴のたびに歌を頼まれるので(しかも宴の最後のほうで)酒は呑めないし腹いっぱいにもなれないし、何より最後まで落ち着かないし、一時期、歌うことを本気で断っていた時もあったほど、結婚式と言えば必ずギターがついてきて、そこにカメラマンとしても頼まれたりすると、もはや披露宴は僕にとってただの疲労宴でしかなかったものだ(笑)

今はみんないい歳になって、周りの友人たちの結婚も殆ど片付いたので、
結婚式そのものに出る機会も随分と減ったけれど、この曲はそんな誰かの結婚式で歌う為に作った曲で、バツイチ同士のふたりだったので甘ったるい曲は違うな、と思ったし、そんな無責任な歌は自分自身も長く歌えないな、と思って正直に書いてみたら、まったく結婚式ソングっぽくなくなってしまった、というね(笑)

でもそうやって人の絡んだ思い出があるおかげで、今も一年に一度くらいは歌う曲として傍にあるし、あの時の友人の喜んだ光景を思い出すことも出来る。
歌は思いやりなんだ、って思うきっかけを与えてくれた曲ですね。
人としての思いやりも、それこそポケットにそっと隠し持っておきたいものですよね。

君を思う

  • 2014.12.02 Tuesday
  • 22:43


君と歩いた道を 風の流れにそって
歩いてみるのさ 緑色の風に吹かれて
君と過ごした日を思い浮かべながら

余計なことばかり言ってた気もするけど
今となれば もう過ぎたことさ
気にしないで
僕と君はもう 他人なんだから

君といた毎日の中で 僕は何を君に残せたかな
あの日二人が感じていたはずの
隙間の無い優しさをまだ覚えてる?

風に流された君との約束は
夕暮れの中に溶けて消えてゆく
風に流されて聞こえてくる噂を
僕は聞きながら
僕は知りながら
気にしながら

始まりの時と終わりの時くらい
もう少し素直になれなかったのかなぁ

風に流された肝心な言葉は
今も僕の中に溶けずに残ってる
風が連れてきた 懐かしい歌や懐かしい匂いで
初めてのキスの日のことを思い出してしまった

風に流された君との約束は
もう夜空の向こうに溶けて消えてしまった
風に流されて聞こえてくる噂を
僕は聞きながら
僕は知りながら
ここにいて




【プチ解説】
2012年5月12日のワンタイ参照。
『ちょっとだけステキなお話』

風の詩を聴け

  • 2014.12.01 Monday
  • 18:05


今年もまた夏が終わり
色々あったけれど
強くなれた人も
変われなかった人も
明日からまた頑張ればいいさ

思い出は素敵だけれど
今をもっと好きになれ
少しくらいワガママなほうが
ずっと自分らしくあれるもんだよ

新しい季節の風が吹くこの頃は
終わることのない 素敵な夢を見る

誰だって ひとつやふたつの
不安な夜もある
そんな時は外へ出て 風の詩を聴け

今年もまた秋が来て
月がとてもキレイだ
僕を通り過ぎた人たちと
またどこかで逢えたらいいな
またどこかで笑えたらいいな




【プチ解説】
自分の曲の中で一番古い曲で、考える限りたぶん十八年前くらいに作った曲だと思うのだけど、作った当初は駄作だと思って三年くらいボツにしてたんです。
でもある日のライブでどうしてもバラード調の曲が一曲欲しくて、録り貯めたデモをあさっていたら出てきて、当時は毎回ライブアンケートを取っていたのだけど、まぁこれでいっか、とその時限りのつもりで歌ったこの曲の評判が一番良くて、えー!なんで!みたいな。

季節モノの曲なのでライブでは秋にしか演らないけど、こんな古い曲を今も歌っていられるのは、この曲を好きでいてくれるお客さんたちが今日まで育ててくれたおかげだと思っています。
育ててくれた恩を忘れないために、また来年の秋にお逢いしましょう。

月にさけべ!

  • 2014.11.28 Friday
  • 01:03


今月は嫌なことばかりあったから
早いとこ来月にならないかな、なんて
しょうもないことを考えてるうち
また今日も不毛に終わってゆく

「明日やればいっか」
なんて、したり顔して
お前の言う明日はどこだ?
地球は回る
そして悲しみは 夜に舞い降りる

月がキレイな夜は
君を思い出してしまう
だから僕は歌う
口ずさむ歌はラブソング

足りないならかき集めりゃどうにかなる
でも今を切り取ったところで何が残る
ホントは今すぐ飛び出したいくせに
そうだろ?

手探りだらけでくたびれてるけど
さよならは言わないでおくれよ
君だけは見えてる
月のように

誰かを思いやってるつもりでいても
それで自分を殺してんじゃ意味がねーよ
それが続くなら そう長くもない

愛情も友情も みんな同じだ
仕事も家族も みんな同じだ
矛盾だらけでも抱きしめてやる

臭いものに蓋をしたらもっと腐った
それは何?それは誰?
あぁ、オレのことか

お願いだ
今は抱きしめておくれよ




【プチ解説】
この曲を書いたのは、あるきっかけがあってのことでした。
もちろん曲を作るにあたって根源にきっかけはあるのだけど、友人の為にどうしても書きたかった、というより、一ヶ月以内に書くよ、と約束したんです。
でも渋谷DESEOライブ当日の朝に書き終わったものの歌詞を覚えられなくて、後にも先にも初めて譜面台を置いてライブをした。
今隣りでギターを弾いてくれている近沢くんと知り合ったばかりの頃でもあって、ライブ観に行きます!と言って初めて観に来てくれた日でもあった。
上手く歌えなくてね、すごく恥ずかしい思いをしたことを覚えている。

でも今でもこうして熱を保ったまま、いや、あの頃よりもずっと熱を帯びたまま演奏し、定番の曲に成り得ることが出来たのは、誰かの為に作った、という確かな思いがそこにあり、それが結局は自分に対しての歌でもあった、ということが、結果言霊となって昇華してくれたのだろうな、と思っている。
今後もこの曲が誰かの胸に少しでも響いてくれることを願っています、ありがとう。


生でダラダラ書かせて!

  • 2014.11.26 Wednesday
  • 18:05


普段あまりテレビを見ない僕は、部屋にいる時はだいたいいつもCDを聴いているかラジオを流しながら過ごしている。
だからといって別にテレビが嫌いというわけではなく、世界の果てまでイッテQ!等好きなテレビ番組ももちろんあるのだが、一度テレビを見始めるといつまでもダラダラと見続けてしまう脆弱な自分の意思というか、他意によって時間を支配されてしまうあの感じがどうも好きになれないのだ。
ただ、一分一秒の戦いとなる朝であればまた話は別だ。確かな時刻が常に画面上に表示されているのは実に有難いし、何といっても起き抜けから見る夏目三久は目を覚ますのに充分な煌めきを放っている。
夏目三久はかわいい。でもやっぱり僕は井川遥とビビアンスーが好きだ。

ちょっと話が逸れたが、その点ラジオはいい。
画面が無いおかげで夏目三久やウイスキーCMの色っぽい井川遥に目を取られることもなければ、どこかの町でこんな祭りがあって神輿が住居の壁を破壊しました、とか、新橋のサラリーマンに聞きました、あなたの女房、太ってますか!なんだそれ?みたいな、自分には必要のないニュースに時間を奪われずに済む。
そんな余計ともいえる情報が多いテレビに比べて、自分が必要としている情報や興味のある話しか耳に入ってこないところが、テレビに勝るラジオの良いところだろう。

僕はこう見えて、宇宙についての話には深い興味があり、夜になって星が見え始めると決まって火星を探してしまうのだが、それがなぜ火星なのかは自分でもよく分からない。
特に火星が好きというワケではないし、火星だと思っていたら実は木星だった、みたいなこともある。
まぁ火星も木星も見つけやすいからとか、きっとそんな単純な理由から取る行動なんだろう、特に意味は無い。
それに火星なんかよりもずっと月のほうが好きだ。

宇宙の話が好き、ということは、つまり我々の住む地球にも興味があるわけで、地球に興味があるということは、地球温暖化問題やその他人類が抱える問題にも深い興味を持っている。
自分の可愛い子供たちや可愛い孫たちの住む未来が、地球温暖化の煽りを食らって大変な暮らしを強いられてしまうことを考えると、これは大変なことだぞ、と地球の将来を憂いてならないが、実際の自分の生活の中で何か気を付けていることはあるか、と問われれば、どれもこれも小さなことばかりで、どちらかといえば、懸念している割には地球に良くないことばかりしているのが現状だ。
だってライブなんてものすごい電気を使いまくりじゃねーか!

そんなこんなで今日のお昼のラジオ。
どこかの教授を招いての議題は地球温暖化について。
CO2が増えていること自体はそんな大した問題ではない。長い地球の歴史の中で今よりもCO2が多く存在していた時代もあったし、CO2に関して言えば、増えていることよりもその増え方のスピードのほうが問題なのだ、みたいな話をコメンテーターの女の人と交わしていたのだが、注目したのは次の発言だ。

「歴史を紐解いてですね、ただ一つだけ明らかに分かっていることは、生物界の頂点に立ってしまった生物は必ず絶滅している、ということなんです」
あー、これは昔聞いたことがある!
「その点昆虫は、地球の生物界に於いて、長い間常に二番手三番手の存在として種を維持していて、これは戦略としてかなり優れた戦略を本能的に取っていると思われます」

その教授に言わせれば、生物界の頂点に立ってしまったヒトは、CO2云々の問題に関係なく、必ず絶滅する運命にあるのだから、その辺を考えながら、その時がやってくるのを何百年後にするのか、何千年後にするのか、ただそれだけのことなんですよ、と実に潔く分析して説明してみせた。
うーん、確かになぁ、コレ、いきなりスケールが小さくなるが、僕の「恋の番付理論」にも少し共通する部分もあるかもしれない。

『恋の番付理論』

地球史上、最も高度な知能を持った人類だけは絶滅しない、と信じて疑わない人たちも世の中にはたくさんいるのだろうが、いつまでもヒトが支配している地球を僕も想像出来ないし、ヒトが絶滅した後、次に地球を支配するのはイカだとも言われている。
夏目三久がかわいい、とか言っている場合ではなくなる、何せ相手はイカなのだ。

まぁけれども、そうして人類が絶滅してイカが地球を支配したとしても、それからまた何千何万何億年と経ったずっと後になって、再びヒトのような生物が誕生したとしよう。
世界中の地中深くから人類が残した遺産が幾つも発見されて、例えばそれがCDやDVDだとしても、これは何のために作られたモノなのか、これは昔のヒトが宇宙人と交信するためにこんなふうに頭に乗せていた、とか、そんな議論を交わすんだろう。
じゃあ真ん中のこの穴は何なのだ、、、いや、それはですね、その穴からこんなふうに空を眺めていたんです、なんて真似て見せて、他の学者から、そんなバカな!なんて野次られたり、これが宇宙から飛来してヒトは絶滅した、と激しい憶測の議論が交わされる、、、のなら、ヒトも恐竜のようなミステリアスで夢のある存在に昇華出来るのだろうが、CDは売れず数は減るばかり、記録したデータだって数十年もあれば消えてしまうだろう。
iPodの中のデジタル音源やパソコンの中の写真たちなど、未来のどんな優れた考古学者でも復元はすることは不可能と思われる。
そもそも人間が英知を集めて作った強固な建造物でさえ、放っておけば三百年も持たないし、残るモノは古代人が石に記した記録、ピラミッド、万里の長城、ラッシュモア山くらいなのではないか、と言われているくらいだもんね。

そんなくだらないことを考えていると、この私たちの地球を大事にしよう!なんて言ったところで地球はそんなにヤワではないし、ウヤムヤにされてしまっている原発問題も含めて、我々は地球の未来を憂うよりも、人類の未来を憂いて大事にしなければいけないね。
それはつまり、一人一人が傍にいる人を大事にすることで広く繋がってゆくことでもあるのだけど、それさえも思うように出来ないのだから、ヒトって、自分って、本当に未熟な存在だよな。

いやいや、ラジオの話からやたら長くなった。
そうそう、Twitterのほうで一年半ばかり『鈴木ナオト歌詞bot.』なるモノをやっていたのだけど、一年半もやっていると同じ曲のフレーズが繰り返しツイートされることになるし、それはタイムライン上を荒らすというか、目障りなモノになっていないかな、と思い、潔く辞めました!
今までフォローしてくれていた人たちにはこの場を借りてお礼を言いたいです、どうもありがとう。

その代わりと言ったら何だけれども、このワンタイ上に「歌詞」というカテゴリーを追加したので、今後はbot.のような抜粋形式ではなく全文を、曲によってはプチ解説付きで気まぐれに少しずつ更新してゆきたいと思っているので、興味を持ってくれる方は、ブログと共に歌詞カテゴリーのほうも覗きに来てくださいね!

それから今週29日の土曜日から30日日曜日の夜まで、代々木labo10周年を祝う30時間ライブが行われます。
わたくし、鈴木ナオトは出演60バンド中52番目、30日日曜日の16時半頃の出演を予定しています。今回はベースがいつものうみんちゅ(アイノライト)ではなく、nainaiboysの長谷川太一くん、そしてお馴染みギターは近沢博行くん、ドラムにAs'Frankの木本泰平くんを迎え入れてのナオトバンドでの出演、そしてこの日がナオトバンドとしては今年最後のライブとなります。
たった三曲のステージだけど、スイカのように思いをギッシリ詰め込んだ熱いステージにしたいと思っているので、楽しみにしていておくれ!

そんなわけで皆さま、相変わらずの長いブログとなりましたが、すっかり寒くなってきたし、どうぞご自愛のもとに身体冷やさないように気を付けてくださいね。

あぁ、電車の中で目の前に座る女の子のスカートが短すぎて、寒くないのかと心配になります。
でもスカートと説教は短いほうが良い!ワンダフル!

夜の森〜素晴らしい世界

  • 2014.11.25 Tuesday
  • 21:23


この森のどこかで誰かが泣いているよ
古い湖のほとりで君を待つ
例え暗闇が怖くなっても

時は過ぎてゆくから
目をつむってばかりじゃ
忘れてしまうよ
忘れられちゃうよ
思い通りにいかなくても
逃げてばっかりじゃ

期待はずれな僕だけれど
もう少し待ってくれないか
あの日一緒に見ていた夢とは
違うけど 違うけれど

もしも僕が死んでも
この世界は続いてゆく
くだらないのさ この空の下では
うぬぼれも 見栄も嘘も

期待はずれな僕のままだけど
もう一度 許してくれないか
あの日一緒に見ていた夢には
遠くても 遠くても

期待はずれな僕だったけど
もう二度と嘘はつかないよ
隣で眠る君が見る夢を
イメージする
素晴らしい世界
その素晴らしい世界へ

この森の向こうで誰かが手招きしてる
それは君かもしれない
でも夢かもしれない

だから今、確かめにゆくよ




【プチ解説】
2011年にTEPPANの皆々がサポートに入ってくれて渋谷O-Westのステージに立った時、最後に選んだのがこの曲で、スポットライト一つの中、弾き語りでこの曲を歌った。
基本的に俺の曲は長い曲が多いのだけど、最も長い曲でね、九分はある。

そんな長い曲、誰もじっとして最後まで聴いていられないだろ、って思うんだけど、これが聴いてくれるどころか、爆音ロックで暴れているような人にまで、不思議と人気がある曲なんです。

今のところ弾き語りの時にしか披露する機会は無いんですけどね。

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